小幡敏の日記

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納豆をつまみに

徳川夢声の日記を読んでいると、

『北海道カラ送ラレタ納豆デ、ウィスキーヲ飲ム』

とある。

納豆をあてにウィスキーというのは初耳だが、案外普通のものなのか。

物は試しとやってみたが、ま、無理と言うこともないが、別に乙なものでもない。醤油を少なく、ほとんど混ぜずにやったらそれなりに食えたが、またやるかと言われれば、微妙なところである。

 

ちなみに、国葬国葬と騒がしいようですが(私は何の興味もないので気にはならないです)、弔問外交がどうのと言われると眉を顰めます。岸田さんが直接そう言っているのかは知りませんが、国葬にまでふす故人であれば、悼むことが目的であって、弔問外交がどうのと変な色気を出すのは、たとえそういう意義があったとしてもアピールするようなものではないでしょう。

 

ヤクザの親分の葬式じゃあるまい、勢力争いに使うのは故人をまるで思っていないことの証左でしょう。弔問外交などという言葉が前面にでてくる限りにおいて、この国葬にはそもそも無理があったのだと思わざるを得ません。

 

 

浜崎洋介氏、山本七平賞奨励賞受賞

クライテリオン編集委員浜崎洋介氏が山本七平賞奨励賞を受賞されました。

世間に数少ない明るいニュースなので、お知らせします。

受賞作となった小林秀雄の人生論は私からもお薦めします。まだお読みでない方は、この機会に是非。

https://newscast.jp/news/9492281

戦記求む

まだ表にはなっていないですが、別段問題もなかろうと思うので言いますと、クライテリオン次号より戦記を題材にとって連載を始めます。

 

自衛官で戦記で、というと、いかにも、といった印象を受けるかもしれませんが、むしろそういう感覚を覆したいわけでして、事実僕は戦記は数えるほどしか読んだことはありません。勿論、連載に臨んで読めるだけ読んでいますものの。(所謂戦史についても、これは自衛官時代に半ば以上義務感でざっと目を通していただけであり、到底軍事通とはいえません。そして、世間のイメージとは裏腹に、自衛官に軍事通などというものはほとんどおりません)

 

それはともかく、今回戦記について書きたいと思い立ち、色々手探りで読んでいると、戦記といっても様々あることがわかります。

 

所謂戦史的事実を叙述するばかりのものもある。それはそれで貴重な資料と言えますが、私はむしろ、戦争の中で如何に日本人が振る舞ったのか、そういうものが描かれた戦記を求めています。

 

戦記には具体個人を顕彰追悼するものも多く、それらはやはり、やや特殊の事情が入るので、出来るならば戦争に参加した本人による記述のものがより望ましい。

 

大東亜戦争がもっとも関心あるものの、戦争と人とのかかわりが、一人人間の生き方振る舞い方を通してえがかれているのであれば、時代は問いません、鎌倉のものでも、室町のものでも結構です。

 

そういう戦記があれば、教えてくれると有り難い。連絡先も記載しておりますから、もし戦記に明るい方がいれば、是非情報提供ください。戦記で連載しようというものが言うのも変な話ですが、なにぶん、戦記も玉石混淆、ひとりたずねるにはあまりに膨大なのです。

 

どうぞ宜しく。

ウクライナ、覚えてますか

僕は忘れるほど気付いてもないですが、今朝テレビがついていて、在日ウクライナ人がウクライナのことを忘れないでと言っておりました。

 

いや、お気の毒だが、それはお門違いというか、たのむべき相手を間違ってはいないか。

 

相手は世界一の健忘(白痴?)民族たる日本人様ですから、忘れるなというのはあんまり酷ではありませんか。

 

現に、僕の周りでウクライナのことを話す者は皆無です。政治の話をしたがらないからだとかなんとか、そういうこともなくはないが、話してみたって、もう興味は完全に失せている。コロナ騒ぎだって、勃発初期から断言した通り、最後は『飽きた』としかいえない不真面目さで人心から消えつつある。

 

そらそうでしょう、はなから半ば以上演技にすぎなかったのだし、ただ空気に飲まれていたにすぎないのだから、幕引きだって幕開け同様に茶番めくに決まっております。

 

いや、ウクライナへの同情はみるに堪えない軽薄さで、『お前らどうせすぐ飽きるんだろ』と思いましたが、そんなことを言おうものなら人の数にも入れてもらえなかった。あの熱烈なる日本人たちは、いったいどんな顔をして今ウクライナを眺めるのか。

 

僕が日本人を信用しないのはこういうところですよ。まずはデフレ脱却という人もありますが、僕にはこういう、自分の信念というものを持ちえない骨無し民族が豊かになったらその操を保ちうるとは到底思えない。いわんや、憲法改正をや。

 

だからだめかもしれんが徹底的に落ちきって、その身を保つためには反省が不可欠であるというところまで、条件を悪くして初めて、立ち直る可能性が生じるのではないかと、そう思うわけです。

 

そらそうしたところでなんの保証もないけれど、上がってだめなのはもう検証済みじゃありませんか。現に富裕な日本人ほど醜い人間はおりません。人間富むと堕落するものかもしりませんが、日本人の場合はそれに際限がない。ガキが万札握らされたのと大差がなくなってしまう。そんな幼稚な人間に余裕を与えて、どうにかなるものでしょうか。

 

僕は同じ死ぬにしても、痩せた状態で滅びたい。痩せたソクラテスとはいわんが、太った豚よりは痩せた豚の方がましだ。食われんですむかもしれんぞ。まぁこれでは大河原総長とおんなじ結末になっちまうわけですが。