小幡敏の日記

評論を書いております。ご連絡はobata.tr6★gmail.comまで。(☆を@に))

コロナコロナって、もういい加減やめようよ

皆さん、どうですか、コロナ。

 

僕の周囲の人間にはいわゆるコロナ博士とかコロナ大好き人間は幸いにしていないのですが、これはあながち特殊な環境でもないと信じております。実際ほとんどの人はもう飽きていて、意地悪なことをいえば、転向した人間も沢山いるのではないでしょうか。

 

それはともかく、これからはウイルスとともに生きねばならぬ、そういう「エセ覚悟」というのは日本人の大好きななんちゃって耐乏精神の亜種です。

 

それはたとえば、戦後「平和のための努力」をあたかも人類のための覚悟であるかのように気取った連中と同じく、さしたる努力ではないくせに、それに耐えている自分たちを演出することで、心置きなく、本来の欲求に赴くことが可能となるわけです。

 

だからこそ、そういう手合いは、たとえばマスクはしましょう、ソーシャルディスタンスはしましょう、あるいは、新しい生活様式を守って暮らしましょうなどと言い始める。

ディスタンスなんて、星空のことくらいにしか思っていた人たちが、急にこんなことをいうのはまったく奇怪であり、滑稽でもあります。

 

僕は子どもと一緒に子供向けの番組などをよく見るのですが(最近はひつじのショーンが好きです)、アンパンマンを見ていると、時々水除けのガラスを被ることがあります。

 

くしくもばい菌を名乗るバイキンマンから身を守るためには、これが本来一番効果的です。アンパンマンが窮地に追い込まれるのは大体が顔が濡れる場合ですから、これさえ常時被っていればバイキンマンもお手上げでしょう。幸い、アンパンマンはどうやら呼吸をしておらず、このガラスは曇りもしなければ、みている限り息苦しかったり暑かったりすることもないようです。我々がマスクなどをさせられるよりよほど手軽にできるはずです。

 

ですが、アンパンマンはけっしてこれにいつも頼ろうとはしない。それはなぜでしょうか。アンパンマンはしゃれものだからでしょうか、いや、食パンマン(僕はこいつが一番嫌いだ)ならともかく、アンパンマンはそんなことを気にするはずがない。

 

思うに、彼はやっぱりバイキンマンとの戦いに生きがいを見出しているのでしょう。そりゃガラスを被っていればバイキンマンの脅威は劇的に下がる。だが、いったいそれでいいのか。

 

ジャムおじさんはいいます、「バイキンマンはいたずらのつもりでやっているのだろう」と。ジャムおじさんも伊達に長生きしていません。田舎のパン屋にもかかわらず、世界各地から旧知が訪ねてくるだけあって、ものの道理をよく心得ている。

 

バイキンマンとて、皆を困らせるものではあっても、かれとて生きている。よく見ればわかることですが、かれにもかれの生き方があり、それはアンパンマン側の人間とて理解できないものではありません。

 

つまり、あの社会はバイキンマンアンパンマンのせめぎ合いで成り立っているし、それは当事者たちにとって、かけがえのない日常です。アンパンマンバイキンマンにガラスでもって予防的戦法をとれば、カバオくんやちびぞうくんは果たしてアンパンマンに今までと同じような親しみをもつでしょうか。また、バイキンマンはこれまでのような均衡政策を維持するでしょうか。

 

結局、彼らはアンパンマンが一定程度バイキンマンに対して脆弱であることを条件に、世界に対して勇敢に、そして自立心をもって対峙している。そこを無視はできないでしょう。

 

してみれば、我々がウイルスに対して日常を過剰に変更することは、すなわちアンパンマンにガラスを被せておくことにほかならず、それは生活自体の破壊であり、もたらされるのは人間の貧困と物語の終焉である、そういうことに思いをめぐらせないままのコロナ対策には、やはり人間の常識でもって対抗していかなければならない、そういうことをアンパンマンを見ながら考えていました。

 

娘もどうやらそういうことがわかっているようで、バイキンマンが頑張らないと消化不良のようです。世間の大人は子どもよりも生に疎いと、それは確かなことでしょう。