小幡敏の日記

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中国は悪玉か

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200827-00000006-jij-n_ame

 

この手の話になるとかならず「中国は国際秩序を乱す悪の帝国だ」といった道徳的非難が向けられる。

そしてこれに水を差そうものなら「お前は中共の手先か!」なる糾弾を受けることになる。

 

全く馬鹿馬鹿しくてお話にならない。これではアメリカと和平の道を探るものが国賊と見なされた戦前から一歩も前進していないではないか。

 

そもそも、国に道徳的判断など持ち出すから話がおかしくなる。それをいうなら米国はどうなのだ、あれほど他民族他文明を傷つけ、破壊し、多く人命を奪った悪の帝国が他にあるというのか。

 

もっとも、国際政治上の手段の表れとして道徳的評価が使われるのは一向に構わない。私が言いたいのは、それを基準に国際関係を考えてはならないという一事である。

 

本件についていえば、米国という冷戦後の一極覇権国に対して新興の大国が抵抗しているに過ぎず、それ自体日本にとって好ましいか否かはともかく、当たり前といえば当たり前の行動である。むしろ野暮なことをいえば、こんな極東にアングロサクソンキリスト教国が出張って威張り散らしている方が奇妙なのであって、中華帝国がこれを追い出そうとしているのであれば、これほど自然な流れもなかろう。

 

勿論私はそれが日本を利するという気もないし、日本は中国の肩を持てという気もない。繰り返すが、考えるべきは日本にとっての利益であり、そこに道徳的判断を介在させてはならないということである。

 

思えば我々は価値観外交などと気取ったことを口にするが、そんなふざけたものが一体どこの世界で通用するのか。日本人と米国人というものが本当に価値観を同じくすると言えるのか。そう口にしているものは一体米国人の友人その他と確かに価値観を共有した経験くらいはあるのか。

 

私に言わせれば、米国人とは決して価値観など共有できない。なるほど、人は自由と民主主義を共通に持つという。だが、一口に自由と民主主義といってよいものか。北朝鮮とて、朝鮮民主主義人民共和国と自称する。中国にも北朝鮮にも、自由があれば民主主義もあるのである。

 

たしかにそれらに比べれば日米の自由や民主主義は近しいと言えなくもない。だが、人は往々にしてその差異を忘れがちだし、ややもすれば一体となりうるとさえ考える。

 

これがまずいのである。なぜなら、米国は必ずしも我々の友邦ではないということを忘れさせるからだ。所謂知日派の米国人がその実侮日的なジャパンハンドラーのお先棒担ぎであることは否定出来まい。冷戦後の国際戦略において、米国が日本とドイツとを潜在的敵性国家とみなし、自主的な外交・防衛力を奪い続ける方針を選択したことは周知の事実である。それでもなおこの米国の野蛮に見てみぬふりをし、唯一無二の永遠の友邦国家と見なすことが如何に惨めで愚かな判断であるか。

 

所謂日本の保守派はすべからく親米的であったが、彼らが「顔で笑って腹で泣く、米国との関係を維持していくことが国を想う者の分別有る行動である」と英雄面するとき、一体彼らの内に真に頼みうる自律的国家への戦略があるのか。いや、彼らは腹で泣いてなどいない。どこまでも軽薄に安全策を語っているに過ぎないのである。

 

思えばドイツは一次大戦後、ほぼすべての軍備を禁止され、巨額の賠償金と破壊され尽くした荒廃の内にあっても再軍備と国家再建を目指した。それがナチスという人類史上まれにみぬ悪魔の登場を許したとはいえ、その決意と勇気とは賞賛にあたいする。

 

日本においても鳩山一郎重光葵は米軍撤退と日本の自主防衛をいまだ敗戦の窮乏に苦しむ中で目指したではないか。それらを思えば、現在「米中の狭間で日本がいたずらに自主防衛を目指すことは現実的でないばかりか国家を危難に導く軽率な扇動に過ぎない」といかめしく宣う政治家評論家の類いは、一度自分の縮みあがったキンタマをさわってみることをおすすめする。

 

私とて今すぐ日米断交だ、日本はどの国とも手を結ばず独立自尊の道をゆくべきだ、などと主張する気はない。

 

ただ、アメリカをおとうちゃんのように頼りにし続けることは危険であり、自主防衛の道を検討し、その可能性を追求することは我々の務めであると言いたいのである。

 

価値観など、夫婦間ですら衝突し、時に離婚に至る。そんな当たり前の事実を思えば、この一致を頼りにしたり、不一致を憎んだりしても確かな国際戦略など導きだせるはずもないことは明らかではないか。

 

ゴロリ