小幡敏の日記

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新聞なんて誰が読むか

駅の広告で日経電子版が月額4277円だと書いてある。「月4277円の価値は、ある。365日分の差は大きい。」ともある。

 

ばかいえ、あんなもの読んでも馬鹿が馬鹿をこじらせて救いようのない馬鹿になるだけではないか。

 

いや、私も小学生くらいから読売新聞を読んでいてもの足りず、中学にあがるころに親に頼んで日経をとってもらって毎日読んでいた。

 

その頃は確かに面白く読んでいた。私は春秋というコラム欄と交遊抄、私の履歴書、あとは企業面が好きで、将来は官僚になるか三菱重工にでも勤めたいと考えていた。

 

ところが私が読んでいた頃というのは日経出身者に聞いても、まさに没落の始まる頃で、社内的にも記事の質の低下、記者の劣化が顕著になり始めた頃と重なるという。

 

そういうものを感じてか、高校にあがる頃には退屈でしかたがなくなり、特に春秋などは読むに耐えない質になっていたから、たしか高校二年のときに投書し、「いったい何が起きているんだ、書き手が変わったのか、こんなものを載せているようではいずれ読者を失うぞ」と訴えた。それには律儀に返事があり、「輪番で書いているため特定の書き手ではない」だなんだと要領を得ない回答だったのを覚えている。

 

まあいずれにせよ、10年以上前でそれだ。今などとてもじゃないが読めたものではなかろう。たった十年というが、その十年前には電車でかなりの者が新聞を読んでいたものだ。それがいまじゃどうだ。新聞を読むものなど車両に数名いればよい。

 

それは活字離れということもなくはないだろう。それこそ、電子版で読むものもあるのかもしれない。

 

しかしながら、私にはどうしても、あれほどつまらん記事ばかりで埋まった新聞など手にとる気にもなれない。

 

4277円という価値があるかどうかはともかく、私だったら4277円で良い本を古本で数冊買うだろうし、気の合う人間と飲みにいくことを選ぶ。

 

それもこれも、戦後日本の知識層がマスコミという番犬を使って愚民政策を推し進めた結果ではないか。

 

国民の覚醒を願って彼らがしたことといえば、国民の文盲化である。公平にいって、もはや日本人の識字率というのは20%にも届かないのではないか。

 

字が書ける、読めるからといって文章が読めるわけではあるまい。日本人の国語力の低下を思えば、この国に日本語を操るものなど、既に居ないものと思った方が間違いがないだろう。