小幡敏の日記

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「ワクチン接種に殺到」のカラクリ

はじめにいっておくが、私は医療関係者でなければ、行政側にいるものでもない。だからワクチン接種に関するなんの知識もないし、感染症などの話も好んでしないから、風聞にすらふれてない。

 

そんな私が勘ぐるに、この「ワクチン接種に殺到」という報道は仕組まれたものではなかろうか。

 

山本七平は言った、日本において危機はこのようにしか認知されないと。すなわち、危機が顧みられずに育ちきって、誰も対処しえなくなったとき、誰かの「助かるにはこの方法しかない」との声に皆が「殺到」する。その先に待っているのは押し潰され、はねのけられたものたちの累々たる屍である。

 

もっとも、今回の場合、所詮敵はコロナさんだからそこまで悲惨なことにはなるまい。それこそこの騒ぎが出来の悪い喜劇に過ぎないことの証左だ。

 

ま、なにがいいたいかというと、この日本人の「殺到癖」が利用されてはいないかということだ。

 

それはまさしく、テレビ通販の「100名様限定」と同じで、ワクチン先着何名様とふれ回ることにより不安な大衆を「焦らせる」。それでワクチンへの疑念や及び腰を吹き飛ばそうとしているのではないか。

 

そうだとしたら日本人は手もなく術中にはまるだろう。半世紀の間をあけてトイレットペーパー狂騒に右往左往する我々である。

 

ひとが欲しがるものが有り難く見えること、それ自体はなにも日本人に限った話ではあるまい。だが、そのようにしてしか危機に抗しえないこと、それはおそらく、日本人の病理といってよいのではないか。