小幡敏の日記

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「戦争はいやだ」の滑稽

2.26で処刑された磯部浅一が獄中日記の中で、決起した時の事を回想し、別働隊の銃声を聞いた際の心持ちを、これほど筆舌に尽くせぬ快感はない、男だったら一生に一度はこれを味わってみよと言っている。

 

まったく、私などその一端も味わったことはないが、想像に難くない。子供の頃、缶をめがけて物陰から飛び出すとき、雪玉を手に立ち上がるとき、そういう瞬間に私は何にも代え難い興奮を覚えた。

 

いや、一生に一度でいいからああいう気持ちに帰りたいものだ。血潮湧く、というのは良い言葉だ。そうそう、最近改めて見直した良い言葉がある。こういうことを言ったり、言わせたりする人生を望む。

 

「そうこなくっちゃ」!

 

それと、今更言うまでもないが、富裕な者が「貧乏はするもんじゃないね」とか、健康な者が「病気はいやだね」なんていうのを聞くと、そらそうかもしれんがどこか薄ら寒さが残る。それは当たり前で、本当に苦しんでいるのは貧窮した者や病気がちの者で、さらにいえば、その富者も健康優良児も、貧乏や病をさして深刻に捉えられていないからだ。

 

元も子もないことを言えば、その辛さは経験していないものにはわからない。

 

それでいうと、我々戦後日本人の「戦争はいやだ」も、戦後75年たってそろそろガタがきている。なぜといって、戦争経験者が実質的にいないのだから仕方あるまい。

もはやほとんどの日本人は「戦争はもういやだ」とは言えない立場にある。

 

私は何も未経験のことに対しては口を閉ざせという事までいうつもりはない。

だが、我々戦後日本人が「戦争はいやだ」というとき、それは常によそ様が苦しみつつ遂行している戦争を遠巻きに「おかわいそうに、おおこわい、おおいやだ」と言っているに過ぎず、そういう我々は戦争によって守られる主権からも、国益からも、そして平和からも一切無縁であることを自覚しなければならない。

 

更に言えば、貧乏しているものが金持ちの「貧乏はいやだね」とか、「貧乏はするもんじゃないね」というのを聞いた時、いったいどのように思うか、想像してみることだ。

不安なら少しはこれ見よがしな外車には乗らず、小ぎれいな格好くらいに留めておくべきだ。

我々が生きる世界は青山でなければビバリーヒルズでもない。世界は争いに満ちている。そんなどや街に呑気な顔して高級車を乗り入れる勇気があるなら、戦争の覚悟くらいさっさと固めたらどうか。その覚悟こそが我々を転落から守るのである。

 

私は日本人に「そうこなくっちゃ!」と言わされることを待ち望む。