小幡敏の日記

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ベナレスの少年

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私はインドが好きで何度か旅行したが、ベナレスを訪れた時にホーリーに出くわした。

 

ホーリーは有名だから今更説明する必要もないかもしれないが、春の訪れを祝うヒンドゥー教のお祭で、皆で色の付いた粉を投げ合って騒ぎ回る。

 

そのどさくさの中でぶんなぐられたり川に突き落とされたりするから愉快なことこの上ないが、何時間もつき合わされるとさすがに疲労してダシャーシュワメートガートから少し下流にいった河岸で休んでいると、この少年に着色された水の入った水風船を頭上からお見舞いされた。

 

頭にきたから降りてこいというとニコニコしておりてきて、もじもじしている。10ルピーくらい渡して水風船を半分よこせといったら素直によこしたから早速頭に投げつけてやったら兎のように跳ねてかわされた。

 

いよいよ許せんということで小一時間こいつを追っかけ回して水風船をぶつけたりぶつけられたりしていたら、いつの間にか船着き場に二人並んで腰掛けていた。

 

私はあまり英語が得意ではなし、インド人の英語など半分もわからぬから大して話してもいないのに、随分打ち解けて、投げるふりをしては笑い合った。

 

別れ際になんだか寂しいような、惜しいような、とにかくただ別れるのにバツの悪さを感じたから、50ルピーを握らそうとすると、悲しそうな顔をして断ろうとする。

 

私は非常に感動した。

 

インドは言わずもがな、こういう国の人は、子どもも含めて金を無心してくるものばかりだし、それも当たり前だ。乞食は街に溢れている。

 

それに、私は恵んでやる気でそれをやったのではない。大人でも1日200ルピーやそこらの稼ぎで暮らしている中で50ルピーは子どもには大金かもしれんが、私はただ、あの子の中に自分の幼い日を見て、その懐かしさにいくらか好意を示したかっただけだ。

 

そして、はじめは、そんなつもりで遊んだんじゃない、バカにするなと責めるような目で見ていた彼も、俺だってそんなつもりでやるんじゃない、この一時の友情にこれを置いていくんだという気で黙ってそいつの手を握ったら、向こうも分かったというような顔をして、はにかみながら笑って受け取って去った。

 

あまりにも幸福な時間だったから暫くそこで川面を眺めていると、隣りで水風船が弾けた。振り返って見上げると、始めに水風船爆弾を投下してきた四階ほどの建物の屋上で少年がいたずらっぽく笑って手を振っている。

 

私は立ち上がってコノヤロウと叫んで手を振った。

 

あいつ今頃、どこでどうしているのだろう。