小幡敏の日記

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人間は進化しているのか

人間は単細胞生物から20億年かけて進化したなどといわれますが、こう言う時、我々は着実に、直線的に、少しずつではあってもまっすぐにより優れたものへの道を歩いてきたように考えます。

 

本当にそうでしょうか。

 

僕なんかはそうではないと思う。ある生物はどこかでまずい方向に発展してそこで潰えたかもしれない。またあるものは、うかつな進化を遂げて危機に瀕したものの、それが環境の変化や他種との混合の上に思わぬ優位を得て、望外の成果を得たかもしれません。

 

つまるところ、神に導かれたように思わぬ以上、それは我々一個の人生と同様、甚だ不格好で不手際の多いものだったかもしれないのではないか。

 

してみますと、私にはどうしてもここ一世紀あまりの人間の歩みが進歩とは思えません。

 

人間の知力は大変に弱まっていないか。

 

なるほど、人は宇宙にもたどり着いた。多くの病も克服した。生産力も技術力も往時の比ではありません。

 

その一方で、我々は凡そ考えるということをやめてしまった。目の前の物に付き合うということを怠るようになった。そうして迎えたのは、観念と観念が相撲を取って勝手に疲れてしまったような世界です。

 

その疲労困憊の中で、妙に明るい我々は目だけをらんらんと光らせながら、腕は細く、腰は曲がり、腹だけをよく膨らませております。

 

当然ながら、そんな人間がよいものを産むはずがない。

 

文化芸能は完全に死にました。もはや優れた音楽も絵画も生まれておりません。

 

 

それはそうと、僕は酒が好きですが、この間なんとなしに加藤登紀子が歌う清酒大関の歌を聴きました。

 

いい歌です。こんなものを聞いていると、十年ほど前に死んだ祖父を思い出す。彼は田舎の貧しい出で、戦争では大変苦労したそうですが、帰国すると裸一貫で水道の設備会社を興し、皆から頼られておりました。

 

彼は寡黙で粗野ですが、大変優しい人だった。晩年は田舎にあっては結構裕福でしたから、色々な人が金の無心にやってきておりました。今思えば大変不思議ですが、人の旅行費用なども出してやっておった。そういうひとはがらくたに過ぎない土産だけ持ち帰ると、またしばらくしては旅行出発の意志を伝えにくるのでした。

 

そんな連中にも、いやな顔一つせず、祖父はただ、毎晩、あの4lほど入った宝焼酎を大事そうに飲んでおりました。

 

彼は世間的には無学で無教養な田舎者でしょう。ですが、僕は祖父よりも立派な人間をこの時代、この東京の街で、お目にかかったことはありません。

 

マイルドセブンを何箱も買ってきてはやみくもに吸っていた祖父、軽トラで野菜の種や卵を買いにつれていってくれた祖父を、僕は愛します。

 

ああいう酒を、僕も飲みたい。高い酒も、うまい酒もいりません。

 

欲しいのは、生活の苦さと悲しさと、ともに居られる酒です。できれば辛い酒がいい。できれば匂いがあればいい。

 

酒は大関こころいき。