小幡敏の日記

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民主主義を見捨てない人へ

僕は民主主義なんてものを信用してません。

が、それに対応する他の便利な主義を持ち合わせている訳ではないので、ひとまず民主主義の生存に同意するとしましょう。

 

それでひとつ申し述べたいのは、民主主義を疑わぬ人、民主主義に何らかの未来を期待する人、そういう人たちに問いたい。いつになったら日本人はまともな民主政治を手に入れるのか、その観測なり目標というものを示してもらいたい。

 

まあそれもひとつの意地悪です。政治なんかにはっきりわかる計画があってたまるか、そんなものをもっとも受け付けないのが政治だ、ということくらいは、私も承知しておるつもりです。

 

ですが、それも考え物で、我々はもう70年ちかくも民主主義ということでやってきました。いろんなことがあったでしょう。敗戦というところから始まったのですから、沢山困難もあったはずです。

 

それでもなおいいたい、70年ですよ。敗戦から数えたら76年です。当時赤ん坊だった者だって死んでしまうほどの年月が流れたのです。いい加減に成果をだしてくれはしませんか。

 

戦争といいますが、歴史を見れば70年以上の間戦争がないというのはむしろ恵まれていたではないか。日本という真空地域は、国づくりの体力という意味では史上まれにみぬ好環境にあったわけです。その成果が現代日本であるなら、未来永劫この国に健全な民主主義など根付かないと考える方がよろしいのではないか。

 

だいたいが、夢というのは旬を過ぎれば妄想です。少年野球のベンチにも入れぬ小学生が大リーガーを目指しても別に構いません。怪我で野球も出来ぬ高校生がプロへの夢を捨てなくとも、人はそれを悪し様には言わないでしょう。では、頭も薄くなり、腰も曲がり始めた76才の爺さんが沢村賞をとるとかサイヤング賞をとるとか言っていたらどうですか。

 

そら冗談にも笑い話にもなりません。ただの与太です。なんなら痴呆です。悪いですが僕には日本で健全な民主政治が望めると期待していること、それはこれと同じく与太としか思えません。

 

もう結果は出ているでしょう。爺さんに言えることは、「生まれ変わったら頑張りな」ということだけです。夢見ることは悪いことじゃないとか、生涯現役とか、現代日本人お得意の骨なしくらげ言葉でごまかしてはいけない。

 

そういうことは、爺さんが怪我をして寝たきりになっても困らぬ人が吐くことばです。家族だったら気が気じゃないんだ。僕は気が気でない。寝たきりにならぬうちにやめといた方がいいんじゃないか。せめてキャッチボールくらいにさせられないか。そんな風に考えることは、そんなに悪いことなんでしょうか。

 

僕は民主政治なんか信じません。言っておきますが、民主政治を信じずに民主政治をやることと、信じてそれをやること、それだって大きな違いです。まずは第一歩、民主政治なんかゴミだ、国民なんか政治的には文盲だ、そういう風に考えねばどうにもなりますまい。

 

ああ、聞こえてきました、日本人のあの言葉。「そんなこといったって仕方がないじゃないか」

 

そんなら僕だっていわせてもらいます。

それで済むなら何にも思い悩む必要なんかない。明日は明日の風が吹く、好きに生きるのがよろしい。選挙なんかあほらしいからおよしなさいな。またいつかみたいに滅びるのがとってもお似合いです。