小幡敏の日記

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またまともなやつがひとり

石原慎太郎の訃報が入りました。

またひとり、まともな人間が消えたということに、寂しい思いがしました。

 

私の年なんかだと、もっぱら彼は都知事のイメージではありますが、彼の発言というのはそれでもなお、普通に成長しようとするガキの常識を不安にさせるものがあった。

 

その不安にどう自分の回答を出していこうかと考えるところに、私の少年期の出発点があったと言っても過言ではありません、石原氏は明らかにその一端を構成しておりました。その意味で私は彼に非常に感謝しております。まっとうなことが、しばしば世間の常識を裏切るということ、そしてそれが厳しい道となることを教えてくれました。

 

そして、彼の死により思うことは、やはりどうしても、この国に有為の人士が少ないということです。

 

我々は言います、日本人は戦後の焼け野原から再出発したのだと。バカ言いなさんな。

 

焼け野原というのは焼き畑のようなもので、腐敗した社会機構が取り払われて生長の時を迎えるのです。

 

今やどうですか。日本は、真に不毛の土地となりました。焼き畑が残した肥沃な表土は、いつしか流れ出し、残ったのは痩せた石ころ交じりの荒野ではありませんか。そこにいったい、生命は生きられますか、美しさは、気高さは、勇敢さは生きられますか。

 

私は石原氏が聖人だったと言いたいのではない。しかし、彼はまさしく生きんとする人だった。そういう人間がまるで見当たらなくなった今、日本は誠に険しい道に差し掛かっていると、地獄の門をくぐろうとしているのだと、言わざるを得ません。

 

それを思うと石原慎太郎という人を僕は、どうしても懐かしく思い出してしまうのです。