十日ほどインドに行ってきました。
今回はカルカッタ、ベナレス、アグラ、ジャイプル、デリーと概ねガンジスを遡上するように動きました。
もう四度目なので今更新しいこともないですが、いつだってあの国に行くと「運が悪けりゃ死ぬだけさ」という気持ちにさせてくれます。その実感が欲しくてわざわざあんな掃き溜めみたいなところに出向いているわけですが、そういう意味では此度も期待には応えてくれました。運が悪けりゃ死ぬだけです。
もっとも、カルカッタにつくなり諸事情により公園で野宿となったのには閉口しました。浮浪者とネズミ蠢くインドの公園で一夜を明かし、その後さらに2日風呂なし、飯なしという……。こういう時でも、自衛隊に居たおかげで案外なんとも思わずその時はやり過ごせますが、同行の学生2人はそれなりに呻吟してました。やはり、徴兵制は必要です。その後の道中でも学生らを見ていると実に注意が行き届かないところばかりで、「ああ、自衛官なら入隊一年目の陸士といえどこうはならんな」と嘆息しっぱなし。京都大学の教育なんかより自衛隊の教育の方が何倍も人を育てると確信します。
それと大事なことは、向こうは男も女も面構えがよくて、いかに汚くとも見苦しくはないことですね。それに引き換えこの国は、見るに堪えない面が犇めいていて、まったく、気分が悪くなってきます。なぜこうも卑しく醜悪な顔をしているのか。トランジットで立ち寄った韓国は聞きしに勝る整形大国で似たような作り物の顔が並んで気味が悪かったですが、日本は日本で草履で踏まれたような顔をしたやつが多くうんざりします。
いずれどこかでインドで考えたことを書くでしょうからここでこれ以上憎まれ口を叩くのはよしておきますが、アグラ(タージマハルがある街です。タージマハルには以前行ったことがありますし、好きではないのでアクバル廟に行きましたが、これまでインドで見た中でもっとも美しいところでした)で出会った善良なオートリキシャ運転手の話を少し。
彼はインド人には珍しく金を無心せず、無償の親切を振る舞う男でした。アクバル廟に着いて僕のリュックサックを預かると言うや、不安の色を見せた僕に自身のリキシャの鍵をよこし、「これなら心配ないだろう?」と笑いました。
マッチを切らせばスタンドに走ってくれ、走行風でタバコに火をつけるのに難儀していれば減速してくれる。当初の交渉で含まれていなかったところにも嫌な顔せず停まってくれ、余計の運賃を要求することもありません。そして、こういう運転手をインドで見つけるのは砂漠で泉を得るより難しいのです。それはインド経験がある人なら皆同意してくれるでしょう。
彼にインドの印象を問われたので、僕はこの国もこの国の人も大嫌いだが、今こうして四度も来てしまっているというのが答えだと伝えると、彼はにやりとして、こう言いました。
曰く、
インド人は進歩しない。バナナを食べれば皮を道端に捨てる、息をするように嘘をつく、ところ構わず痰を吐く、周囲の目も気にせず騒ぐ。だが、考えてみろ。日本はアジアで最初に近代的な大国となったが、今は下降している。代わって中国が大きくなったが、それも将来はきっと落ち目がくるだろう。しかるに、インドはそうではない。インドはインドであり続ける。進歩はない。それでいい。インドはいつもここにある。浮き沈みとは無縁なんだ。
なるほど、感心しました。僕は以前書いたことがありますが、19歳で初めてインドに行った際に似たようなことを思ったものです。この国は途方もなくでかいバケツだ。水が足されれば、それが満たされるまで発展拡大するだろう。しかしそれで終わりだ。あとは零れるだけだ。バケツの改善、バケツ自体の更新は行われない。だから普通の意味での「進歩」は起きない。それこそが近現代をあざ笑うようで痛快なのだと。
だからあの国ではあれだけ先進的なイメージが取り沙汰されながらも、モディはヒンドゥー復興を叫び、民衆もそれに従っています。老いも若きも(高等教育を受けたであろう身なりのよい者まで!)実に熱心に祈りを捧げている。僕にはそれがうらやましく思えてなりませんでした。
加えて彼は、こうも言いました。
インドはゴロツキだらけに見えるだろうが、それは違う。90%の人はイノセントなのだ。貧しいイノセントな人間が各々の水準で生きようと藻掻いているだけだ。1割の人間、特に政治家や財閥の腐敗はひどく、賄賂でどんなことでも解決できるし、みんなそれを知っている。しかし、それでいいのだ。仕方がないことだ。悪と戦おうとするから疲れて不幸せになる。仕方がないと思えば、疲れないし、おれは家族と幸せに暮らしている。世の中には悪も善もあるのが普通だ。自分が善の側に居られるならそれでよいではないか。
メイファーズに通ずるところがありますが、こういう大陸的な気分にはなかなかなれないものです。しかし、頭ではそれもいいなと思ってはいる。僕は喧嘩が好きだからそうもいきませんが、大抵の日本人にはこの方がよいのかもしれません。というより、事実こうして生きている者が多いが、このインド人と違うのは、悪を馬鹿にしたり、安易に自分を善に見立てたりしがちなことです。これはもう、宗教心がない子供の集まりだから仕方ないとも言えます。
とりあえず今回はこれくらいにして、最後にひとつ、真理を教えて進ぜます。疑い得ない、確かな足場を示しましょう。
「インドで見物できる最も軽薄で醜く、愚かな人種は日本人観光客、とりわけその若い女である」
……お粗末さまでした。

























