来月発売の『表現者クライテリオン』11月号ですが、前々号(前号では特集に寄稿しましたので連載はお休みしました)に続き、連載第二回目が掲載されます。
題は、「志士は大衆社会を生き得るか」となっており、その名の通り、大衆社会(とりわけ日本)にある志士というものがどのような役割を担わされており、また、如何に破滅的であるか、ということを書きました。
これは特集原稿の「大衆の戦争としての二次大戦」に続く主題であるわけですが、日本の失敗や行き詰まりには大衆と志士との不幸な関係があるのだという思いを受けています。
そして、予め断りをいれると、次号の内容はどうしてもどん詰まりの袋小路です。全く惨めで救いがない。しかしながら、これも蛇足で付け加えるなら、それこそが心ある人間にとっては希望なのだと、いや、連帯の要なのだと、そう言わせていただきたい。
とはいえ、1月号ではその底から少しずつ外へ、或いは上へと帰る道を目指して行きたいとも思っています。
とにかく、次号はただ正視しなければならぬことを正視する、その苦痛をともにしていただければ、私としても何よりです。
どうぞ宜しくお願いいたします。