小幡敏の日記

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ロシア兵なら殺していいのか

日本人はご存知の通り命を何よりも大事にするらしい。それは如何なる例外も許さないように見えるが、唯一その禁令が破られるのは、その命を奪ったものに対する制裁の場面だという。

 

死刑が未だ廃止されないのがその好例であるが、私はこれに常々反発を感じてきた。死刑に反対というのではない。ただ『人の命を奪った』という事実だけで変わるような律法が律法足り得るものかと思うからだ。

 

それこそ死刑廃止論者がいうように、冤罪があればそれは取り返しがつかぬ。そんなものは『必要悪』と軽々乗り越えていく日本人が本当に命を大事に思っているとはとても信じられない。

 

そういえば、私の周りの人間の発する言葉を聞いていると、ロシア兵を弔うものはなく、むしろ早くやられてしまえと願うものが多い。ロシアは侵略者だからやむを得ないというのであれば、『命が一番大事』などという言葉はいよいよ虚しくなる。そのようなレッテルでどうにかなるのであれば、我々の後生大事にしている律法は、夜8時の惣菜の如く、漸次値下げされ、安売りされるものに過ぎないではないか。そんな売れ残りの惣菜紛いのものになぜ平伏せねばならないのか、私にはいっこうわからぬ。

 

もっといえば、プーチンを誰か殺してくれないか、などと平気でいうその神経もわからぬ。別段私はプーチンを好きもしないし擁護するわけではないが、テレビでしかその姿をみたことなく、受ける影響といえば物品の値上げくらいの相手に対して『死んでくれ』とは思わない。人は私を野蛮と言うが、はたして野蛮なのはどちらか。

 

私が生きるのは日本である。私の倫理が働くのもこの国の現実の中である。遠い国の人を呪う奇形児たちが、いったい自己の生活にあって正しく倫理を持ちうるものか、私は甚だ疑問である。

 

百歩譲ってこういってもよい、プーチンやロシア兵を呪う人よ、君たちは縛られたプーチンを前に凶器を持たされたならばどうするのだ、殺すのか。殺せるのか。殺せるならよい、大いにやってくれ、プーチンは貴様よりよほど立派に死ぬだろう。

 

殺せぬのなら、黙るがいい。我々にプーチンを殺すだけの覚悟も義理もなかったのだから。そんな人間を軽々に呪うような倫理は、早晩我々自身にも牙をむくに違いないのである。