以前渋谷で若者が騒いだ後、どなたからか忘れましたが、「あの渋谷のハロウィン騒ぎ、私は日本人がここまで落ちぶれたかと悲しくなりました、どう思いますか」と詰め寄られたことがあります。
その人はけっこう素直な人でしたし、悪い人ではなかったですからあまり悪し様には返せませんでしたが、率直に言えば私は、そんなことはどうでもよかった。
それというのも、私はあの騒ぎを日本人の退廃の先端とは思わないからです。日本人は、そんなものを待たずとも、十分に腐敗しています。今更嘆いてみせるのは、やや迂闊か、少しばかり演技がかったかまととぶりに見えなくもない。
私はああいう乱痴気騒ぎに関わったことは生涯一度もないし、その手の軽薄さを憎んできたとも言えます。中学一年の時には、渋谷なんぞに戦車で乗り入れてひねりつぶすのが俺の夢だと発言したのを覚えております。
それでも、今では私は彼ら若者にこそ同情します。
若者は元来後先考えず行動するものですし、そうあってほしい。彼らの衝動や情熱が2.26の無邪気になるのか学生運動の軽薄になるのかは、ひとえにその時代の傾きにかかっております。
だからこそ、戦後の若者は馬鹿ばかりやってきた。
若者は純粋というより、軽薄で、低俗で、無定見な馬鹿者を演じさせられてきました。
ですが、これとて若者からその情熱のはけ口を奪った社会と時代とが責めを負うべきではありませんか。
コロナ騒ぎで露見したように、我々の国に他世代への思いやりなど皆無です。
学生時代、青春時代を守ってやろうという雰囲気など、まるで存在しなかった。
若者は自らはほとんど恐れる必要のないウイルスのために、自らの生活を犠牲にさせられました。
それを世間は「当然」と言った。自分たちの臆病を彼らの貴重な時間で補填することを、「当然」といって憚らなかった。
若者諸君、今こそ世間を戦慄せしめよ。
ハロウィン騒ぎと聞けば、私は落胆します。そんなもので満足するな。足らん。足らんぞ若者よ。
今若者を軽蔑しているものたちこそ、いったいなにをしてきたか。暴動とも焼き討ちともいうべき騒乱を散々やっていたではないか。
私は無責任なことはやってきていないから、人にも無責任なことは勧めません、いや、勧める資格がない。
ですが、団塊さん、あなたたちほど無責任な世代はなかった。無責任らしく若者を焚き付ける資格があなたがたにはきっとある。
焼き討ちをせよ、もっと暴れよ、と、おとなしい若者に言ってやってはどうか。
それでいったいなにが起ころうかしったことか、そういう無定見と無責任、それこそ彼らのやってきた行いそのものではないか。
だったらそれに相応しい振る舞いを期待します。
年をとったから我が身がかわいくなったなど、そんな身勝手な転向は認めるわけにはいきませんから。