小幡敏の日記

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どうも若者は好かない

最近の若い者は、というセリフは唇を離れた瞬間から色褪せ滅びるものですが、どうしてもそういう考えになります。

 

僕は三十で、どうやら後輩らしいものも出て来ましたが、むしろ12、3の頃から常に思い続け、言い続けてきたことなので、自分の年齢とはほとんど関係のないことのように思います。

 

なんでこんなにも不快なのかと思って彼らの話を聞いていると、やはり彼らは根拠のない自信家であり、世間や年長者をなめきっているからというのが感情としては大きい。

 

いや、それが若者の本分だろうといわれてしまえばそれまでだし、僕としても若者たるもの大いに反骨心を抱いてくれと思いますが、どうも、今の若者たちはうちに甘え多く、その引け目のせいか、表向きは極めて従順であり、よく言われるようにお利口なのです。虐げられる恐れのない反骨心など、ブスの色気より目障りなものです。平和で民主的な戦後日本で反戦や反権力を『闘士』面して叫ぶ人らを思い浮かべて貰えば幸いです。

 

それはそうと、そういう彼らの器用で低温な反抗心のせいで、彼らに対する大人の方も、変にほだされるというか、調子をはずされてしまって、えらく遠慮がちになる。そうなると反骨心も壁を失って、ただの思い上がりと無責任とに成り下がります。

 

正直言って僕は老人が頼みにならないから若いものに期待しようと、そういう気にもならない。生まれたばかりの赤子や幼児ならともかく、一人前といった顔の若者諸君とは話すことさえ億劫です。

 

するとまあ当然孤立するわけですが、考えてみれば僕は生涯一度も世代に帰属意識をもったことなく、時代に親しみを覚えたこともなく生きてきましたし、連帯する仲間にもそれを属性として重く見る必要はないでしょう。

 

とにかく頭を高くして生きていると疲れるものですから、要らぬ労はとらぬに限ります。

ほら、ここはこうして頭を下げておくんだぞ、と言われるところには近づかぬがよろしい。そうはいってもたまに出くわしてはお付きあいさせられますから、そういうところに背を向けて自然に呼吸が出来る場所と友人とを見つけておくことです。

 

友人の方がえらく少ないもんで心細い限りですが、