ウクライナでの騒擾に関して、ウクライナの劣勢や装備の不足が言われる度、西側諸国は早急に強力な武器弾薬の供与を、と唱えるものが多い。
とにかくロシアに負けて我らが西側諸国(及びその一員ということらしい日本)に安寧を、ということで言うのだろうが、彼らの多くはきっと従前武器輸出三原則などという事実上の武器輸出禁止を支持していたのだろうし、その背後には「崇高なる」平和の希求精神が控えていたはずだ。
しかしながら、そんなことは一切忘れ、どんどんやれ、支援せよ、となるのはいったいどうしたことか。
日本がやらねばいいというのであれば、そんなものを「崇高なる」理念とは決して言えまい。状況次第でころころ変わるものは、尻軽ともいい、軽薄ともいい、また日本人的とも言うが、それは決して崇高とは呼ばれない。
それもこれも、平素荒唐無稽で無責任な空論に遊んでいたせいであり、身からでた錆びとはこのことだ。
そして、その荒唐無稽な空論として俄かに高まる国防強化論により、我らが自衛隊は弄ばれ、自衛官は犬死への道をまた一歩前に進むのである。
日本人ほど無責任な人種はないし、自衛隊にとっては日本人こそが敵である。
国防を強化するというなら、いの一番、憲法をどうにかせよ、国民の国防精神を叩き直せ、それを欠いた自衛隊増強など、国防強化になんの役にも立たないばかりか、自衛官に対する罪の上塗りにしかなるまい。