小幡敏の日記

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クイズ、あなたは戦後日本人か

先ほど富沢繁著『新兵サンよもやま物語』(S56)を読んでいて、下記の記載に行き当たった。

 

 航空教育隊では、ときどき野外訓練があるが、そんなとき兵隊は、「しめた、食えるぞ」と内心ニタニタする。

 仮想敵前で散開して、「突撃!」の分隊長の声に、「うわーッ」と、ヤケっぱちな大声を出して大根畑をまっしぐら。「伏せ!」の号令に、ばっと即座に伏せねばならないが、一しゅんタイミングを置いて、素早く、なるべく大きな大根のありそうな個所を見定め、猛烈なダイビングで伏せる。と、つぎの「付け剣、突撃」の号令がかかる前に、さっと腰の銃剣を抜いて大根掘り。それを泥のついたままでむしゃぶりつく。多少、コヤシがついていてもお構いなしだ。そのおいしさったらない。文字通り兵隊は餓鬼である。

 畑の持ち主の農民こそ迷惑だが、餓鬼にはその迷惑を考える余裕もない。

 早駆け行軍のときは、小道の農家の軒に吊るしてある干柿が、あっという間になくなる。

 それでいて、兵隊の行動を悪くいう農民はあまりない…

 

 

と、ここでクイズ。なぜ農民たちは兵隊の泥棒行為を悪く言わないのか。

自慢ではないが、僕にはすぐに理由がわかった。で、馬鹿みたいに得意になって、かみさんに聞いてみたところ、うーんと言って悩んでいる。

 

ちっともわからない様子で、やれ「あとで軍に申し立てれば補償がもらえる」とか、「軍隊からはほかに恩恵を受けていた」とか、「兵隊一般への感謝や尊敬があった」なんて並べるが、残念、かすりもしない。「やあ、この戦後日本人め」と、僕はますます得意だ。

 

かみさんの方は慣れっこだから腹も立てずに、はてなんだろうなと思案を続け、「息子も兵隊にとられているから?」などという。やっといい線まできたが、ついに答えはでなかった。

 

すぐにわかる人からすれば、こんなものクイズにもならんという話だろう。答えは、農民の中にも軍隊経験のある者がほとんどなので、「『わかるなァ、あの気持ちは』と、むしろ同情的であった」というわけだ。

 

なぁんだ、そんなことかい、と思ってくれるな。この感覚こそ、戦後日本人が失い、現代にいたり誰の胸にもなくなった、庶民レベルでの国防当事者意識じゃないか。

自分が「武器をもって戦う者=兵士」であるとは、戦車に乗ったり鉄砲持って突撃する姿を受け入れることだけを意味するのではない。むしろ、もっと泥臭い、みじめったらしいところでこそ、その真価は試される。泥水すすって草嚙んで、血と汗と油にまみれる兵隊の境遇を理解できること、そこに心を寄せられること、それこそがまともな国防感覚なのである。

 

 

それはそうと、昨日初めて草野球の試合に出た。

バットの方は湿りっぱなしで、出塁は四球だけだったが、出張審判が実に見事な人で、これには感心した。判定がフェアなのは当然として、物腰、物言い、柔和な笑顔の中にほの見える威が、試合を締まりあるものにしていた。

従前、VTR検証やらAI審判やらをもとめる声には強い嫌悪を抱いていたが、実際に審判が裁く野球試合に参加してみて、あらためて審判不要を唱える人間の資質を疑った。

果たして彼らは本当に野球をやった上でそう言っているのか。そんな汚い試合、見苦しくってとても見てられない、やってられない。まるで美しくないじゃないか。野球なんて、美しくてなんぼだ。審判にいい加減な奴が混じっているからと言って、そこを目指さないなんて、そんな志の低い人間とは口もききたくない。

 

だいたいが、判定に揺れがあったり感情が混じるのが気に食わないというのなら、審判といわず、裁判官や弁護士こそAIに置き換えるべきだし、も少しいえば、人間なんてさっさと死に絶えた方がよほどさっぱりして見晴らしがよくなる。もっとずっと清潔な世界になること請け合いだ。

 

文句ついでにあとひとつだけ。最近「日本はもう終わりだ」と言う声ばかり聞くが、こんなに胸糞悪いもの言いもない。そんなことは小学生のガキだった二十年前の僕だってわかっていたことだ。それでも馬鹿どもに馬鹿にされながら、馬鹿をやり続けてきた。だからちょつとは偉そうな口をきかせねもらうが、大方の日本人なぞに日本を見捨てる資格などない。日本のことを憎んで憎んで、恨んで恨んで、みじめさに打ちのめされながらも日本を愛し、日本の為に尽くして努力をしてきた人間以外に、この国の悪口なんか言われたくはない。

日本の危機を見ず、警鐘を鳴らす者を笑い、衰退を食い止める努力をこれっぱかしもしなかったやつらが、「もう終わりだ」、だとは、ずいぶん笑わせてくれる。