小幡敏の日記

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我々が愛すべきものは

このところ、気が沈んでいます。それは僕の生活に対する不快もあるのでしょうが、それ以上にやはり、僕にはこの国にたのむものが見当たらない。いや、活動というものがあるとして、その運動に輪郭を与えるものがわからなくなってしまってもう久しいですが、そういう思いが、なんの激情も、なんらの事件もなく充満してしまった。

 

それは音もなく、気配もなく、しかしいつしか明らかな姿となって我々の世界を覆いました。

 

もう日本人であることを固く信じられる者などいないのではないか。少なくとも僕はそうです。

 

そういう世界で、いったい我々は何を信じて生きていけばよいのか。

 

答えを言えば、それはただ、日本語を愛していくほかないのではないか。

 

僕ら日本語を話してきた数億の人間には、歓喜の時も、悲嘆にくれるときも、栄光の時も屈辱のときもあったでしょう。しかしながら、そのどんなときも私たちは日本語で、我々人間の救いがたさも気高さも語ってきたはずではないか。そうであるなら僕は、これをたのむことしかできない。この活動に参加してきたのは、言語的に優れた選ばれた人間だけじゃない。どんな無学無教養な人間であっても、嗚咽に近いような形であれ、心動くときあれば、それを日本語にしてきたはずなんだ。

 

そこでだけ僕は同じ夢が見られる、そこでだけ僕は、共に日本人でいられる。そういうことを忘れずに、この我々の手に残ることばを育みながら生きていくしか方途はないんじゃないか、そう思われてならない。