小幡敏の日記

評論を書いております。ご連絡はobata.tr6★gmail.comまで。(☆を@に))

白鵬の取り口

私は相撲が好きだから、以前からよく見ている方だと思う。

 

最近じゃあまり贔屓の力士もおらず、少し距離ができてしまってはいるが、たまにみるとやはり白鵬の取り口の汚さは目に余る。

 

だが、それ以上に閉口するのは、それをいうと必ずあがる、「ルールで禁止されてないから悪い、ダメならダメでしっかりルールで禁止すればいい」という生意気な物言いだ。

 

こういう手合いはスポーツに関して特に目に付く。

 

たとえば、高校野球で球数制限をいれてやれといってみたり、メジャー行きを希望する選手に「彼の人生だから応援する」などといったりする軽薄な共感だ。

 

私はこの手の言いようは、観客というか、言うなれば傍観者にすぎない者の態度として不健全であろうとおもう。

 

有能な選手がメジャーに流出すれば残念なのは当然であるし、それをかりになじってもなんら不自然ではない。まして、国内のライバル球団にでもうつれば、なぜこれを非難してはいけないのか。彼の人生だから、などという必要がどこにあるのか。ただの観客なのだから、素直にものをいえばよい。

 

高校野球だって、観客は感動したくてみている。そういうと、高校生をそのために犠牲にするのか、というかもしれないが、高校野球は強制ではないし、高校生だって全てを賭けてやっているのだ。それでプロ生命がたたれたとして、一体なにが悪いのか私にはわからない。

 

あるいは、プロになるためにやっていて、強豪校でそれがしいられた場合、図らずもその未来が半ば強制として奪われる、といえるかもしれない。

 

しかし、それでなにが悪いのか。私は高校野球など教育意義ではかられるべきだと思うし、人間形成にそれが有意義であればやればよいし、マイナスであればやめればよい。そして、それは有意義だと信じる。

 

相撲の話にもどれば、ルールだから何だという前に、観客として横綱に期待する姿でない以上、それを嫌うのは当然であるし、非難してもなんら不自然ではない。

 

ルールで禁じられていないことはなにをしてもよいなどと思っている、あるいは思っているかのように見える横綱など、尊敬には値せんと言ってなにがわるいか。

 

むしろ、そういうことがルールで定められず、あくまでも期待される姿としてあり、そしてそれに応えて横綱たらんとしていく姿にこそ、敬服すべき横綱の活路がある。

 

はなからルールがあり、それに従って横綱の型にはまる横綱など、いったいどうして綱をはる人間となろうか。

 

皆訳知り顔でルールルールというが、何一つここのところの機微を理解していない。ルールがないからこそ威厳ある横綱が成立しうるのだ。そして、白鵬にはそれがないというだけにすぎない。だからこそ、白鵬に対してすべきはルールの策定などではなく、白眼視と嫌悪の表明なのである。