小幡敏の日記

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ウイルスに対抗しうる日本の国民性にアッパレ

だそうです。

手を洗ったり、風呂に入ったり、マスクをしたり、家でじっとしていたり、そんなことが誇らしいのであれば、もうこれは完全に病気です。

 

だからいったいどうしたというのか、そんなものは全て目先の安全や自身の健康を思ってやったことでしょう。それを悪いとは言いませんが、別に誇るものでもありますまい。

 

ですが、それを「海外の人たちも賞賛している!」などと言い出すのはいかにも田舎くさくてみっともない。悪いことはいわない、およしなさい。

 

いったいどれだけの日本人がこの騒ぎのなかでうろたえ、醜い行動をとったか、そのことに日本人と外人との差はありません。

 

私は物心ついてからいつだって愛国者ですが、この国を誇らしく思ったことなど一度もない。むしろ恥ずかしくて恥ずかしく、それはもう、外人の前では気後れするくらいなものです。

 

私の知る限り、日本人が世界の人から尊敬されているなんてことはありません。むしろ、まともなものからは軽蔑されているといってよい。

 

自分のことを自分で決められない者を、人は立派な大人とは見做さないでしょう。そうであれば、やはり日本は今でもこどもの国です。それは警戒されないが故に愛されることはあっても、尊敬など受けることはありません。少なくとも私は、日本は世界で一等愚かでみじめな国だと思ってこれまで生きてきました。

 

だからこそ、コロナコロナと騒ぐのは結構ですが、我々が取り組むべきはそんな目の前の危機ではない、我々が生き物として自らの運命を握るための努力ではないでしょうか。それは或いは失敗や敗北を伴うものかもしれませんが、むしろ我々が求めるべきは、不戦勝よりも潔い敗北であり、そしてそれは、安易な敗北主義などでは決してないという落ち着いた覚悟ではないでしょうか。