私は囲碁も将棋も下手も下手だからいったい棋士が何を考えて打っているのか、或いは指しているのか、皆目見当もつかない。
ただ、どうも不思議なのは、なぜ世間はこの若い棋士を応援するのかということである。
私が言うのもなんだが、ほとんどのものは普段将棋はやらないだろうし、当然彼の将棋内容には凡そ無頓着なはずである。にもかかわらず、応援する。これは少々奇妙ではないか。
こういうと怒られてしまうが、私は彼のことが嫌いだ。特別に嫌いだというわけでもないが、スケート選手が嫌いなのと同じく、なよなよとしていて髪がながく、おまけに彼の場合むにゃむにゃふにゃふにゃ、いつも寝起きのようなのだから、好きになる理由などない。
もっとも、私は将棋にさして興味もないのだから、彼にもほとんど興味がない。だったら黙っておれ、というのが筋だが、私などは彼への偏愛の中に、日本国民の奇妙な同調的空気を見出すから、わざわざ嫌いだと言いたくなるのである。
たかがひとりの人気者(?)かもしれないが、そこには日本の病理の顔が見え隠れしている。
あの不恰好な弱き若者を称揚すること、それはやはり愉快というよりは不愉快なことと言わざるを得ない。
重ねて野暮を言うなら、ごちゃごちゃ言わずに生活の中で将棋でもやってみてはどうかと思う。棋士の昼飯がどうなどと馬鹿げたことを取り上げる前に、将棋盤を引っ張り出せばよい。たとえきっかけが軽薄なものであっても、将棋をやるなとまでの野暮は言わないことだ。