小幡敏の日記

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国民はバカじゃない

という人が結構います。

 

私など国民というか、大衆は愚かだとよく口にする(ほとんど事実の確認としてですが)方ですから、そんなことをいおうものならこの手の方々はむっとして怒り出すわけです。

 

そういえば自衛官時代、日本における民主主義の欠陥を言ったら、アホな元二等陸佐が激怒し、些か滑稽なほど私を面罵したこともありました。

 

私にはこういう人たちの心理は理解しかねる。仮に民主主義というものに真剣にというか、すくなくとも主体性をもって向き合っているのなら、その問題性というのはむしろそれだけ自明でしょう。それはあくまでも擁護する立場であっても変わりはありません。

 

同様に、自らを国民としてこの国に責任感覚を抱くのであれば、国民の愚かさというものに気づかないではいられないはずではありませんか。この国の国民がバカじゃない、そんなバカな話はありません。これほどバカな国民というのも珍しいくらいなものです。

 

別段私はバカだバカだといっていい気になっているつもりはありません。常に言明していることですが、それでも私はこの国からも国民からも逃げられないことを自覚している。しかしながら、世間の賢明なる国民さまはこの国にも国民にもまるで責任感覚のない、言わば逃げ出すことになんの抵抗もない人種を指導者に担ぎ出す始末ではありませんか。

 

反省しない日本人がまずすべきはやはり反省です。日本人のやり方がいかに欺瞞にみち、偽善的で醜悪なものであるか。そしてそれらから脱却するためには一体なにをなすべきか。

 

考えてもみてください。日常、耳障りのいいことを言う人間が本当にあなたのことを思うているのか、耳に痛いことをいう者こそあなたの味方ではないのか。

 

そんな常識がなぜ通用しないのでしょうか。してみれば、平身低頭国民に媚びを売る人気者たちが国民のために働かないのはむしろ当然と言わなければならないでしょう。

 

国民はなぜか我も国民のうちの一人、それ故に国民への愚弄は許さぬとの立場をとりたがる。しかしながら、この国や国民を思うのであれば、我一人お国をしょってたつのだと大高慢にたたねばなりません。そのとき、我々は国民であって国民でない。国民を愚かだということなどに躊躇っていてはなりません。

 

国民は愚かです。まったく救いようのないくらい愚かだ。だが、そんな国民をも愛する、それがなくしてこの国を背負うことなどできましょうか。

かような心持ちなど想像すら出来ぬ、そんな輩ばかりだからこそ、政治家とて国の指導者となるわけがない。

 

なすべきは反省、反省、反省、それだけです。この国の民は愚かだ。バカだ、まぬけだ。その認識を欠いてできる世直しなどない。我々は自らの姿を曇りなく見直すところから始めなければなりません。それが敗戦後75年もたっていまだに変わらぬ出発点ではないでしょうか。