小幡敏の日記

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罪のない市民がどうしたって?

小田急線で人が刺されたといって騒いでいるが、これは私の地元でもあるから家人などもなにやらその話をしている。

 

はっきり言って興味はないが、こういう通り魔のような事件があると、必ず「罪のない市民」が云々という言葉がはかれる。

 

私は犯人を弁護する気はないが、そういわれるとはいそうですかとはならん。

 

罪のない人間などどこにいる。

 

いや、いてくれてもかまわんが、そのように言う当人は果たして罪のない市民のひとりに含まれているのか?

 

市民などという曖昧な言い方でごまかしてはいけない。

 

「俺のような罪なき市民が理由もなく殺されるなど受け入れられない」

 

といってみろ。いや、言えるやつだけがそういう傲慢な言葉を口にしてもらいたいものだ。

 

そういうとどうせ、殺されるような悪いことはしてないだとか、殺していい理由にならないとか、お前はどうなんだとか、ぐにもつかん抗言が向けられるんだろうが、それらはすべてその者の罪なきことをあかし立ててはいない。

 

耶蘇臭い言い方にはなるが、我々などみな罪人なんだからもっと謙虚に、慎みをもって生きなきゃならんと、そう思う。

 

だいたいが、どうだ、彼の感じたような幸せな者への妬み、あわよくば自分の水準まで引きずりおろしたいという醜い感情、或いは、不幸にまで落としてざまあみろ、いい気味だと思う、そういう人間の醜さが、おのが心のどこにも存在しないと宣言出来るほどに潔白な人間がどれだけいるのか。

 

それが我々の心のうちに潜む以上、我々は彼のような不幸な罪人を、我々と隔絶した人間の屑であるといって断罪し去ることは許されるのか。

 

彼は彼の罪を償えばよい。彼はたしかに罪を犯したのだから、私は彼が火炙りになっても構わない。

 

だが、我々のうちに、彼に向かって石を投げる者がいるなら、そういう者がもしいるなら、私はその者に問う。

 

いったいお前はあいつとどれだけ違うんだ。