小幡敏の日記

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日本科学未来館が教えてくれるもの

子供が行きたいというので連れていきましたが、展示があまりにも詰まらないもんだからすぐに帰ってきました。

 

子供は正直ですから、「とと、今日まだ一度も面白いと思ってないよ。今日終わっちゃうよ」と言って泣きました。

 

あれはひどいですわ。子供にはみせたくない。何故って、子供の想像力を奪うからです。凝り固まった大人たちの科学観全開だからです。お前らに未来を決められてたまるかとしか思わなかったですわ。

 

そもそも展示の質が低いですからね。見たってなんのことやらさっぱりわからん。説明を見てああそういうこと、と思いますが、え、それだけ、という内容しか持っていません。もう驚きもなにもない、はぁそうですかと、それだけです。

 

だから子供もすぐに飽きました。「どこに面白いものあるの?」と聞かれ続けるのに疲れました。かみさんも、「昔来たときはもっと面白かったのに。これまでのミュージアムで最低の出来」と手厳しかった。

 

職員はみんな親切で余計に不憫です。

 

なんだかオリンピックの開会式を思い出しました。自己満足てのは恐ろしい。土曜にもかかわらず閑古鳥でしたが、そういうことですか。

 

税金の無駄遣いですわね。あんなものは。毛利さん、あれでいいんですか。

 

日本にも科学にも未来はないと言われているようで大変暗い気持ちになりましたよ。

 

私だって小さい頃は科学に憧れたんですがね。誰がこんなことにしてしまったのか。これは戦犯ものですよ。

 

だいたい、どんなものでも退化退行は免れないものですが、科学だけは進歩するはずではなかったのか。科学なんぞただの積み重ねなんですから、科学を標榜する科学未来館が退化しては科学の名折れです。

 

そんな日本科学未来館に唯一教えられたことがあります。

 

それは、入り口付近に並んでいたノーベル賞受賞者たちからの手紙です。

 

ノーベル賞受賞者という科学の最優等生たちの書く言葉というのがあまりにも幼稚ではないですか。結局、科学は知性を育てないということなんでしょう。人にどう思われるか気にしちゃいけないとか、探究心を忘れずとか、まぁそれはそうだとしても、そんなことは小学校の先生だって焼鳥屋の親父だって言えます。いや、焼鳥屋の親父が言うなら立派なもんですが、ノーベル賞受賞者が言うのはさすがに頂けない。言葉なんか話さずC言語で会話したらどうですかと思います。

 

科学未来館が提起したのは奇しくも文系の必要性ですわ。そら日本の文系は文系というより非理系の無能集団ですが、それでも、もしかりにあんな幼稚な人間がノーベル受賞者でございと社会全ての価値体系の頂点に置かれるようなことになれば、いよいよそれは人間の滅亡です。やれやれ、大変なことになってきましたね。