小幡敏の日記

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本気の自衛官なんているものか

先日ある国会議員さんから『自衛隊に現状を本気で変えようという者は防大卒業者含めていないのか』と問われたので、『いない』というと、『一人もか』と更に問う。僕は堂々と『一人もですよ』と言い切ったが、彼の顔には微かに『それは幼稚でヒステリックな見解だ』という色が見えた。

 

これは思い過ごしかもしれないが、いずれにせよ、僕は今ここに同じことを問われても同じように答える。

 

なぜといって、僕自身そんな人間に会ったことはないのだから。そらなんとかしたいと思っている人くらいならいくらもありますがね。本気の人間なんて居ませんよ。僕は少なくとも見たことがない。

 

勿論それは能力の問題である場合もあるわけですが、両者兼ね備えた人間は残念ながらなかった。

 

そして、もう一つ、『そんなことはお前の狭い見聞の中の話だろう』という者に答えておくと、左様、その通りである。しかしながら、それこそ僕の考える様式である。手触りのないものに信頼などおけるものか。僕は漫然と五年のあいだ自衛隊をうろついたんでもなし、僕の経験を曖昧な想像力などよりも信ずる。

 

それと、最近ドローンの戦果が強調されるが、5、6年前に私も少なくとも偵察用には早急に導入したらいいと言ったことがある。もちろん研究開発部門にいるわけでもない初級幹部の意見が取り上げられることなど期待していないが、その時に言われたのは『楽をしようとするな』ということだ。

 

全く馬鹿馬鹿しい、死にたいやつは死ねばいいが、犠牲者を減らそうとする者を何故妨げようとするのか。

 

頑張ったら報われる式の考えは、考えないということと同義である。

米人に軽侮され

この度出版した本を献呈した米国在住の政治アナリスト氏から連絡を頂きましたが、その中に『国務省ペンタゴン、CIAの日本担当官は本音では日本のことを軽蔑している』とありました。

 

これは事実でしょう。大戦中、憎悪はされても軽蔑は受けなかった日本人は、戦後、あの異様な奴隷的屈服を受け入れ、その後如何なる意味でも精神的復興を遂げなかったのですから、マッカーサー以下米人から受けた軽侮も、強まることはあっても減ずるわけがありません。

 

私は悔しい。あんな連中に軽侮されなければならないこの国も、その軽侮を受けながらも助けを乞おうとしているこの国の人も、いったいどういう了見なのか。今にみておれと、なぜ思わないのか。

 

77年も奴隷でいると、こうも生気衰えるのか。件の担当官連中がアメリカの国策を決定しはしないとしても、このように軽蔑された国を、なんで米国が守ることがあるだろう。

 

常識で考えてみてください。日本国内でもそうでしょう。我々は地方のインフラすら守らないではないか。

 

米人さんにとっちゃ、日本など東京からみた北海道や四国九州よりよっぽど縁遠い存在ですよ。なんでそれらのために自らの生存を危うくするでしょうか。

 

頼むから冗談は今日だけにしてくださいな。明日からしっかり反転攻勢お願いします。

ロシア兵なら殺していいのか

日本人はご存知の通り命を何よりも大事にするらしい。それは如何なる例外も許さないように見えるが、唯一その禁令が破られるのは、その命を奪ったものに対する制裁の場面だという。

 

死刑が未だ廃止されないのがその好例であるが、私はこれに常々反発を感じてきた。死刑に反対というのではない。ただ『人の命を奪った』という事実だけで変わるような律法が律法足り得るものかと思うからだ。

 

それこそ死刑廃止論者がいうように、冤罪があればそれは取り返しがつかぬ。そんなものは『必要悪』と軽々乗り越えていく日本人が本当に命を大事に思っているとはとても信じられない。

 

そういえば、私の周りの人間の発する言葉を聞いていると、ロシア兵を弔うものはなく、むしろ早くやられてしまえと願うものが多い。ロシアは侵略者だからやむを得ないというのであれば、『命が一番大事』などという言葉はいよいよ虚しくなる。そのようなレッテルでどうにかなるのであれば、我々の後生大事にしている律法は、夜8時の惣菜の如く、漸次値下げされ、安売りされるものに過ぎないではないか。そんな売れ残りの惣菜紛いのものになぜ平伏せねばならないのか、私にはいっこうわからぬ。

 

もっといえば、プーチンを誰か殺してくれないか、などと平気でいうその神経もわからぬ。別段私はプーチンを好きもしないし擁護するわけではないが、テレビでしかその姿をみたことなく、受ける影響といえば物品の値上げくらいの相手に対して『死んでくれ』とは思わない。人は私を野蛮と言うが、はたして野蛮なのはどちらか。

 

私が生きるのは日本である。私の倫理が働くのもこの国の現実の中である。遠い国の人を呪う奇形児たちが、いったい自己の生活にあって正しく倫理を持ちうるものか、私は甚だ疑問である。

 

百歩譲ってこういってもよい、プーチンやロシア兵を呪う人よ、君たちは縛られたプーチンを前に凶器を持たされたならばどうするのだ、殺すのか。殺せるのか。殺せるならよい、大いにやってくれ、プーチンは貴様よりよほど立派に死ぬだろう。

 

殺せぬのなら、黙るがいい。我々にプーチンを殺すだけの覚悟も義理もなかったのだから。そんな人間を軽々に呪うような倫理は、早晩我々自身にも牙をむくに違いないのである。

 

 

『愛国』としての『反日』 発売

先般告知している出版ですが、本日発売日です。

一年半かかったのでつかえがとれたような心待ちです。

 

 

 

 

自衛隊を辞めてから自らの無力無能を思わない日はなかったですが、ひとまずこれで脆いながらも足場が築けたと考えておきます。

 

まだまだやるべきことは多いですが、どうぞよろしくお願いします。

 


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ご冗談でしょう

https://jp.reuters.com/article/hayashi-idJPKCN2LK0DV?feedType=RSS&feedName=special20

 

これが首相を目指すという男なんだから恐れ入る。

どこかのシェイシェイオジサンも含め、お利口さんはどうにも頭がいかれた人間が多いようですな。

それとも、この国では至当なことが言えないということか、それもあるかもしれませんな。

いずれにせよ、こんなことを言っているようではアメちゃんにも早晩見捨てられるでしょうよ。

もうこの手のしょうもない記事はよしませんか


(3ページ目)「日本に住む私たちにとっても大きなリスク」義勇兵に志願した元自衛官を、陸上自衛隊幹部OBが“称賛しない”理由とは | 文春オンライン

 

何か書かせるとなれば元将官くらいでないと格好がつかないというのはわかるが、元将官にいくら話させたところで自衛隊の実情など話すわけがないし、なんならそういうものに「うまく付き合える」人間が将官になるのだから、我々日本人の欺瞞病をひどくすることはあっても、これを克服して目をひらかせることなど期待出来ようはずがないではないか。人を守りたい、使命感、敬意を表する、そんな言葉が並ぶが、こんなものはいくさびとの使う言葉じゃない。僕は二等陸尉で辞めているから将官など雲上の人だが、もっと締まりあることをいってもらわねばどうにもすわりが悪い。

 

この元総監については何もしらないが、彼が言うことから判断すれば、有り得るのは、昔と今で自衛隊が異なり、かつ彼がそのことを知らないか、彼が嘘つきかの二つに一つである(或いは彼が無能かであるが、閣下ともあろう御方がまさかそんなことはあるまい)。

 

自衛隊に入る者が鉄砲を撃つことにためらいがないだろうなんてことは、僕には口が裂けても言えませんね。手榴弾をもって腰を抜かすようなやつがいるのに、なぜそんなことを言えるか。大体が戦うことなど平生まるで考えない自衛官に、いったいどうしてそのような期待を持てるのだ。それは自衛官に対する理解がない上に人間への理解も欠いているのではないか。

 

いったん彼が嘘つきでないと仮定しても、やはり彼の認識には問題がある。

一例をあげるなら、彼の持ち出した精神教育だが、自衛隊の精神教育など、疲れた身体を屋内で癒やすための休憩時間に過ぎないし、僕が受けていた精神教育で唯一終わってから隊員が真面目に談義していたのはフィナンシャルプランが演題だったときだ。そんなものが精神教育と呼べるものか。

 

僕が新隊員教育で区隊長をしたときは、代々引き継がれた害にしかならん教育資料を全て無視して一から自分で作ってやった。おまえたちは戦うためにいるが、国民はおまえらのことなんか本当のところじゃなんとも思ってねえ、おまえらは憲法違反だ、おまえらはこの国のみなしごで捨て駒だ、それでもかまわんといって戦う覚悟があるのかと語りかけたが、数名が熱心に聞いているのみで、ほかの奴は休憩時間じゃないのかとげんなりしていた。

そして熱心に聞いていた連中はじきに辞めてしまった。残ったものが自衛官だ。その自衛官が国防意識あふれ、ためらいなく鉄砲が撃てるというなら大変結構、是非ともそうしてもらいたいが、あまり無責任なことを言うものではない。

 

今日聞いた話だが、北海道のピンピンコロリ1尉も「俺たちがいくら頑張ったってなんにも変えられねえ、上流でなんとかしてくれなきゃどうにもならねえ、誰も戦う気なんてねえんだから!」と悔しがっていたそうだ。僕は彼の部隊の実情を知らんが、なんの違和感もない。戦う気があるやつなどほとんど見たことがないのだから。

 

それでもって元将官の方にもどれば、彼は幹部候補生学校に入校したころ、こんな事を教官に言われて感銘を受けたという。

 

愛国心に答えはない。1億1000万の国民がいたら1億1000万の愛国心がある。君たちの思う愛国心と違う国民がいても、すべての日本国民を守るのが君たちの任務なのだ』と。型にはまった愛国心が示されるのかと思っていたので驚きでしたが、すべての国民を守ることが自分たちの使命だと気付かされた瞬間でした。』

 

このことからなにが言えるか。

ひとつ、幹部候補生学校の教育が昔からおとぼけ教育であること。

ふたつ、将官ともあろう人間がこの程度の戦後的言辞に感心していたマヌケか、或いは感心したふりをする悪党であること。

みっつ、自衛隊に期待しうるのは所詮、日本人に期待しうるものの域を出ないということ。

よっつ、こんな戯れ言がまかり通る限り、自衛隊はたぶん、おそらく、ぜったいに、日本を守ることはないということ。

 

四つ目まではいえんやろうという者もあるかもしれんが、いやはや、これが言えてしまうので困ったものです。想像してごらんなさい、我々はタマやポチは食えと言われても食えませんが、動物全般を愛する者は平気でビフテキ食べますよ。

全ての国民なんてものは愛せません、愛せないもののためになんて戦えるわけがない。

子どもを守ろうなんてものより、わが子を守ろうという気持ちが強いのは当たり前じゃありませんか。

 

いえいえ、そんなことの前に愛国心が一億もあるちゅうのは初耳ですわ。そんなら親心も恋心も一億あって、魚心や出来心なんてのも一億あるわけですな。よきかなよきかな、そんなら万引き犯一人捕まえられん世の中ですわ。ばかも休み休み言いたまえ。

 

僕はあげ足とりをしてますがね、愛国心に答えはないなんて安い文句を言うからお付き合いしてるんだ。安いなんてもんじゃない、実に実に罪深い卑怯で臆病な文句じゃありませんか。あの阿呆連中前にして阿呆がいうべきことは、ただ国のために戦えって、それだけだよ。知恵を使おうなんて百年早い。

馬鹿が頭使うから尻尾をだす。もっと気取らず基本に忠実になりなさいな、足りないのは何はなくとも『型にはまった』教育だよ、国防に関する自由な思考なんてものは、日本人にとっちゃサーカスだって分かってもらいたいもんです。

 

言っておくが、『当時は自衛隊に対する風当たりもつよく、批判的な国民もいた、そういうことを知らないで好き勝手言うものではない』などというとるにも足らない言い訳は御免ですよ。そんならそれで、なぜ今なお自衛隊は変わろうとしない、国民に働きかけようとしない。

 

自衛隊の中で現状に異を唱えるものが対するのは『例外なく』次の二つのだ。

 

『君が偉くなって変えればいいだろう』

『君だって年をとれば同じ事を言うようになる』

 

黙れ黙れ、貴様らが語るのは日本人の性情であって人の世の事情ではない。そんなものを語るのになぜ物知り顔をするのだ。

 

馬の子がロバになるものか、鷹の卵から鳶が孵るものか。

僕の顔がロバに似てこようものなら、そんな奴は俺の手で殺してやる。

 

 

道楽亭

大阪二日目、寄席に行きました。

面白かったですけど、路上で座り込んで酒のんでたおっちゃんが寄席終わって出てきても飲んでたのには笑いました。まあまあ寒いのに三時間弱、ようやりますわ。

 

でたとこで、連れにタバコすっていこうと言われましたが、寄席で変な女に絡まれてたのでいやいや、ここはやめとこ、行こ行こと言うたところ、赤ら顔のおっちゃんが「すってきゃええやん、おれらそんな悪いやっちゃないで!」と怒鳴られました。

 

そんなつもりじゃないのに、大変失礼いたしました。