小幡敏の日記

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私が会った唯一本当の斬込隊長

山本七平に『一下級将校の見た帝國陸軍』という本がある。

これは現代日本人に対しても大変に示唆するところの多いものであるが、その中に次のような話がある。非常に感動したから記しておこうと思う。その行動もさることながら、この中尉の最後の姿(声)、これに思いを馳せること、そういうことこそが戦争を反省する第一歩ではないのか。

 

(話は敗色が決定的となった比島で、なお非情な斬込命令を受けた際のものである)

 

 H中尉と私はきわめて事務的な打合わせをした。彼は、背が高くやや猫背、軍刀を日本刀のようにベルトに差し込み、つるのこわれた眼鏡を細紐で耳にかけ、巻脚絆に地下足袋といういでたちだった。その服装特に眼鏡が現代離れしており、私が思わず「大久保彦左ですな」というと、彼は、げっそりこけた土色の頬をゆがめるようにして、笑って言った、「あの時代の戦法ですからな、斬込みは」。言い終ると軽く私の敬礼にこたえ、何一つ特別な言葉を残さず、九人の部下とともに出発した。そしてその夜、隘路のビタグ側の入口付近の竹林で射殺された。

 去って行く後ろ姿は、慣れた道を急ぐ人のように無造作だった。ああいう場所に行くとき、人はさりげなく行く。そして、さりげなく行く者だけが、本当に行く。だがその人が何も言わなくても、去って行くその背中が何かを語っていた。

(中略)

 襲撃は失敗だった。敵もさるもの、そこは斬込隊をワナに誘導するさそいの隙だったらしい。南方の竹林は、少し奥へ入ると地表に枯竹が山積しており、そこへ踏みこむと、歩けば否応なくポキポキと音がする。日本軍が巧みに候敵器を避けることを知った彼らは、わざとそこに候敵器も遮断装置も設置せず、重機を並べて待ちかまえていたのであろう。そこへ踏み込んだ斬込隊は、恐ろしい位置に立たされた。ポキポキという音を目掛けて、前からは重機の掃射、後ろは崖、それはまるで、壁の前に立たされて銃殺されるような形になった。天然の候敵器、動けば音がする。「しまった」と思ったときには身動きはできない。「そのときH中尉殿が……」と、かろうじて生きて帰った一兵士が私に言った。「大声で、左にまわれ、左にまわれ、といわれ、軍刀で竹をバサッバサッと切り倒されました」。発射と同時に、敵の耳にも音は聞こえなくなる。その瞬間大声をあげて竹を切り倒せば、闇夜の敵の注意は否応なくその方に向く。部下を左に行かしつつ、彼一人、右へ右へ移動しつつ竹を切り、大声を出しつづけた。逃れうる者は、その隙に、何もかも放り出して只夢中で左へと逃げた。一瞬銃弾が途切れ、ほっとした時にもその声はなお聞こえ、いつしか「メン」「͡コテ」「ドウ」となっていたそうである。