小幡敏の日記

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暗黒日記

清沢洌の暗黒日記というものがあります。

清沢は硬骨のリベラルジャーナリストで、彼が戦時下で綴ったものがこの日記。

敗戦を間近に惜しくも亡くなることになる清沢のいわば遺作でもあります。

 

讀賣新聞中野好夫評は以下。

 

 正直にいって戦後九年、いっかな忘れまいと思っている私自身でさえ、うっかりすると、はやあの暗い日々の経験が実感としては薄らいでいくのが、なによりもこわい。まして今はもう直接あのころの経験をもたない、たくさんの青年層さえ出て来ているのだ。ときにはウソのように思えるかもしれぬが、ぜひともそんな人たちに読んでもらいたい。

 

また毎日新聞評では、

 

 軍の専横、官僚の卑劣、政治家の腐敗、言論の無力、そして民衆の無知が、率直な筆致で浮きぼりされている。

 

とあります。

一読僕は清沢は偉い人だなと思いましたが、それはともかく、世の中には変わらなかったものと変わったものがあると感じもしました。

 

変わらなかったのは、馬鹿な右翼と無知で臆病な民衆。

当時も右翼連中は「米英の背後にはユダヤがいるのだ」などと言って無知な民衆を煽っている。或いは、三国同盟締結時は万歳を言い、イタリアの陥落では「足手まといが消えていよいよドイツの反攻が始まる」などと強がって見せる。まるで昨今の右翼と瓜二つ。何の知見も与えないばかりか、無用で厄介な虚栄心と欺瞞とを民衆のうちに育てるだけです。そして自らの不安を拭うためならそうした無知丸出しな言説にも飛びつき、それをたしなめる者を嗤い、罵り、徹底的に迫害する。そこには良心も反省も道徳的な向上心も、少しも見つけられません。

 

では変わったものは?

変わったのは、むしろリベラル陣営でしょう。清沢でもいいですが、国家や民族に責任を持ち、国民の徳義と良心の向上に頭を悩ませるリベラリストというものが、戦後この国にはほとんど姿を消してしまったように思えます。

清沢はじめ、彼らは何に敗れたか。清沢は繰り返し国民の無知と良心の欠如を呪っている。戦後は、これの改善に努めなければならないとたびたび口にしている。

しかし、戦後これに努めた者がどれだけあるか。

 

毎日新聞の評にならえば、「軍の専横、官僚の卑劣、政治家の腐敗」はいつでもどこでも言われたが、「言論の無力」そして何より「民衆の無知」はどれだけ問題にされてきたのか。

 

日本のリベラリストというのは、腹では民衆を馬鹿にしておきながら、適当に民衆をおだてるような連中と言わざるを得まい。民衆の無知につき合い、彼らの粗暴に振り回されながらも、我々の国を少しでもましなものにしていこうという気は敗戦と共に失われてしまったのかもしれません。

 

それはそうと、暗黒日記は流通数も多く簡単に読めますから、興味があればお読みになるといいかと思います。日本人の弱点がいかに作用して社会が機能不全になるかがよく分かる。これはまったく、現代的な問いかけにも繋がるものだと思っています。