小幡敏の日記

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国民など愛さない、日本など愛せない

これまで私は折に触れ日本人がどうの、日本がどうのと述べてきたが、ひとつ明言しておきたいことは、私が自衛官であったとき、私はこの国の国民のために働く気などみじんも、これっぽっちもなかったということと、もはやこんな日本という国を愛する気持ちなどまるで存在しなかったということである。

 

幹部自衛官というのは間抜けというかおつむがないから、やれ愛国心だのなんやかんやとごたくをならべるが、彼ら自身それがなんであるかなど皆目見当もついていないというのがその実態であるし、それを心底信じ切っている人間もほとんどいない。

 

私はそれを嘲弄する気はなく、むしろ単に哀れむものであるが、愛国心がないというのは私とて同じことであって、申し訳ないが現在の私にこの日本という国を愛することはできない。

 

櫻井何某のような保守タレントたちはしきりに日本を称揚し、日本を愛するなどと平気で口にするが、やつらの胸中に等身大の愛すべき日本の姿が宿ったことは未だかつてなく、だからこそ平気でグローバル政策の推進に加担することもできる。国を愛するなど、やつらにとっては自己暗示か偽装に過ぎない。 

 

公平にこの国を見るならば、とても愛することなどできようはずがない。私はただ愛すべき部下とともに在りたいと願って自衛隊に居たのであり、これと日本(あるいは自衛隊ともいえる)及び日本人への嫌悪との間の懸隔に耐えきれなくなって除隊したのである。

 

そんな不届きものはこの国に、自衛隊に要らぬというのであればよかろう、私は既に去ったのだから。

だが、言っておかねばならぬのは、私を追い出すだけの理念も、私を抑圧するだけの能力も、私を憎むだけの分別さえもなかったのが自衛隊であり、日本国である。

そんな自衛隊が、そんな日本国が、今後立派に国を守っていけるのだと、そう思っているのなら危ういものだ、十分用心するがいい。

 

私はこの国も国民も嫌いだ。

だが、私の青春の全てはこれらを愛するためだけに費やされたのである。私には一切の青春は失われていた。

私が尽くしたものはどこへ消えたのか。私はもう愛さない、いや、愛すことが出来ない。

しかし、私は私の青春の記憶とともにいきたい。愛はなくとも、忠義は尽くして生きてゆく。義務としての忠国、その乾いた慕情とともに歩いて行くほかないのである。