小幡敏の日記

評論を書いております。ご連絡はobata.tr6★gmail.comまで。(☆を@に))

首里城燃ゆ

私は沖縄に住んでおり、沖縄の友人もいるから並みの本土人よりも沖縄に対する親近感は余程強い。

 

その上で言うが、燃える首里城の美しさよ。

 

こんなことを言うと罵る輩が目に浮かぶが、まあ聞いてほしい。

 

首里城というもの、それが復元であることはさておき、あのように醜い観光地となり果てていること、現代沖縄の軽薄さのランドマークにすらなっていること、これを思えば、あの夜空に燃え落ちる姿には、琉球王朝の威容というものを初めて感じた。

 

それが復元されるのは実に悲しいことだ。亡びても亡びても、繰り返し生き返らされる苦しみ、それも、その奇っ怪な姿を曝し、惨めな末裔が招き寄せたTシャツ姿の連中に辱められ続ける屈辱、それに比べれば亡びることの悲しさなどなんでもないではないか。

 

私はあの激しく燃え尽きて行く美しい姿を見納めに、琉球王朝を永遠の眠りにつかせてやればよい、それが彼らに対するせめてもの償いであり、供養なのではないか、と思うのである。

 

いずれにせよ、城が燃える、その姿に美しさを見いだせないあらゆる人間に対して、私は一切の友情も親愛も抱けぬと言わなければなるまい。

 

そうはいっても私も内地生まれだ、余計なお世話と言われればそれまでである。

 

だが、そういって私の言を退けるとき、琉球の歴史に対して、果たして本当に誠実に向き合っているのか、その点についてはよく思いを致してもらいたいものである。

 

少なくとも私は、己が故郷の史跡なり歴史的建造物についても同様に思う。

首里城と比肩するかはともかく、国会議事堂が燃えれば私は歓喜するだろう、浅草寺が燃えても、築地本願寺が燃えても、はたまた安田講堂が燃えても、私はきっとそれを美しいと思う。

 

では、自ら火をつけるのか、いや、それは、好きな女をみな口説くのか、というのと同じで、そういう問題でもないのである。

 

いずれにせよ、首里城を哀惜する人にとり、なかなか了解し難いことかもしれないが、文化を担うということは、その物自体をただ後生大事に囲い、生かしていくことで足りるのか、その事については沖縄の人間のみならず、文化を空洞化させて久しい日本人がよく考えてみなければならないことである。もっとも、とっくに手遅れであることは言うまでもない。