小幡敏の日記

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政治家の条件

現代日本の政治において、政治家というのは恥知らずであればあるほど良い、というものになっており、そういう意味で小泉の伜なんかはまったく総理の器と言えるのだろうが、私などはやはりこういうものには生真面目に反発を感じる。

 

戦後日本人の二大特質というか、国民性は、臆病と無恥であると常々思っているが、彼ら政治家はこうした国民に決して怯えられず、決して後ろめたさを感じさせない道化が求められているのである。

 

それゆえ我々国民は、無知で無能な、おまけに人格徳性において劣った者を担ぎ上げてはこき下ろして慰み物にしているのである。

 

だから政治がわるいだなんだといったって、悪いのは国民の素性というか根性の方で、やはり病根はこっちにある。

 

また、政治家たちの言い分の方に耳を傾けると、どうやら彼らは理想のためには多少の悪には目をつむれ、と本気で信じている節がある。それを免罪符にしている。そして、国民の方もそれを概ね是認している。

 

まぁ、そんなものは当然であって、そう言ってれば理想に奉仕する必要も永久に先送りできる。

 

目的は手段を正当化する、そういうことはないこともない、が、てめえでいいだしたらお終いよ。言葉は変わるもんだといって、正しい国語を放棄する馬鹿となんら変わりがないではないか。

 

目的のために手を汚す、そんなことをしてるうちに目的なんか容易に見失われるものだ。それに、もし選挙活動の軽薄さが「良い政治を行うにもまずは当選せねば始まらない」などという馬鹿げた言い逃れによって正当化されるのであれば、そんな風にして選ばれた政治家たちが、なし崩しで「良い政治を行うには権力を得なければならない」といって汚職に手を染めるのも容易に想像できそうなものだ。

 

だから我々国民がもし政治家を選ぶのであれば、まるで我々に媚びない、目の上のたんこぶのような者を選ぶべきだ。少なくとも彼は国民に媚びる大半の政治家よりは公共の為に働くはずだ。

 

そして、そういう困り者を拾い上げるだけの常識感覚がなければ、そんな投票やるだけ無駄だ、やめてしまえ。