小幡敏の日記

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老兵は去れ、御用新聞も去れ

4月5日付読売新聞一面「地球を読む」にJR東海名誉会長葛西敬之氏の寄稿が掲載されている。

 

「地球を読む」などとうすら寒いことを謳ってはいるが、内容は「岡崎久彦に学ぶ」程度のものに過ぎない。というより、そら財界の重鎮だから政治でも哲学でもなんでもござれ、一端の賢人然と講釈垂れるのもよくあることなのかもしれないが、私にはどうしてもこの老鉄道屋が安全保障を主題として一般紙上を占める無節操が目に付く。その内容が凡百の日米同盟心中論なのだからなおさらである。

 

そりゃ商人風情のこと、米国の腰巾着をやっていた方が国益に適うのだというのもうなずける。安全保障コストなど経済人にとっては迷惑千万だろう。

 

堂々とそういえばいい。日本国家の自律性などどうでもよいと、僕の言ってることなんか期待でしかないので将来どうなろうと知りませんよ、だって僕80ですもん、と。あるいは、そもそも僕安全保障のことよくわからないんですけど、金もうけにはこういう理屈が都合がいいもんで、それに、なんか責任ある者として今の状況に耐えて生きる、みたいなこといっとけば格好がつくんで、と。

 

葛西氏の寄稿は徹頭徹尾斯様な告白に過ぎない。こんな害にしかならない老人の御託宣を一面に持ってくる読売新聞も問題だ。肩書で文章書かせるのもいいが、載せる以上は内容にも責任を持つのが新聞社の倫理として問われねばなるまい。

 

ヤジばかりではなんだから葛西氏の言い分をいちいち検分してみようと思う。

 

①「今や日本も現実を直視しなければならない。選択肢はただ一つで、日米同盟の高度化以外にない。」

→なぜ日本が現実を直視し、抑止力を強化する上での唯一選択肢が「日米同盟の高度化」であるのかは全く示されていない。当人はその他の意見を論駁することでその責を果したつもりなのかもしれないが、このあと見るように、凡そ論駁といえるものは一つもない。

 

②(米国が必ず日本を守るとは言えず、米国第一主義に対応する必要があるといった類いの意見は)「二重の意味で間違っている」

②a:「歴史において米国は常に国益第一だった。(中略)米国は国益のために米軍を世界に展開してきたのであり、(中略)米軍は米国の国益のために日本に駐留し続けるだろう」

→まったく説明になっていない。そもそもトレンドとして米国が自国優先に傾斜していることはトランプの言動や同盟国への駐留経費負担強迫から明らかであるが、それ以前に米国が国益以外の動機から同盟国を庇護しているなどと言うものをなぜ前提にするのか。加えて、葛西氏のこの言い方では米軍が米国の国益のために日本から撤退することも当然に考えられるのであり、それを可能性として排除してよい道理はない。商人としての成功者たる葛西氏が悪いシナリオに目をつぶるとは、全く老いのせいとしか思えない。現今の東アジア情勢、すなわち、多核弾頭を備えたICBM及びSLBM保有した中国の飛ぶ鳥を落とす勢いの台頭と、もはや米国にとってさして役に立たない日韓比の存在は、現状で民主主義グループの防波堤としての役割に用いられるとしても、それが将来中国と戦火を交えてでも守るべきものであり続ける保証はどこにもない。むしろ極端に厄介な問題地域の委任統治を中国に譲る可能性がないと一体だれが言えるのか。日本にとって日米同盟が現状死活的であることは明白であるが、米国にとって日米同盟は決して死活的ではない。それが米国の国益のためにこそ犠牲にされ得るものであるという日米の非対称性を無視した葛西氏の思い込みは議論の妥当性を根本から失っている。

②b:「日本は米国以上に死活的に在日米軍の存在を必要としている。在日米軍の存在は唯一の確実な抑止力であり、他に選択肢はない」

→たしかに米軍は横須賀の整備補給能力により5~9個の空母打撃群を節約しながら第7艦隊を運用できているとの報告はある。それは実に数兆円の価値を持つが、しかしながらこの運用自体第1列島線での対峙を前提としており、日本を見捨てて少なくとも第2列島線に後退した場合、横須賀の重要性というのは必然的に減少する。すなわち、米軍にとって日本が現在重要な拠点であるからといって、それが米国にとって死活的であるとは到底言えない。そして、「日米同盟によって米軍の究極的な抑止力を背にした時に日本は初めて、中国にとって普通の隣国となる」ことをもって、前述の「米国が必ず日本を守るとは言えず、米国第一主義に対応する必要がある」といった類いの意見を「間違っている」と断ずる事情はもはや葛西氏の頭の中にしかなく、80の齢が可能にする神がかり的な直観に基づくのだろう。少なくとも、これをもって「日米中の3か国の間には、日米同盟対中国という図式しか存在し得ない」と摩訶不思議な断定をする前に、多国間のバランス外交を志向することもできようし、そもそも核保有を念頭にインドのような孤立主義をとることもまた、検討してよいはずである。重ねて言うが、葛西氏が繰り返す「唯一」、「しか存在し得ない」といったほどに事態は硬直的ではなく、もっと言えば、仮にそのような「唯一」の選択肢しか残さないのであれば、もはや日本に生きる道などない。それは下請けの悲哀であり、はなから交渉もできなければ国家意志の実現など不可能である。交渉カードを持たぬものの奴隷的境遇は、一流ビジネスマンの葛西氏であれば容易に想像がつくはずであり、氏の物言いを総合するのであれば、日本は奴隷の道を歩むべき、ということになろう。

 

③「冷静に考えれば、米軍基地周辺こそ抑止力が最も強く、最も安全な地域というのが真実だろう」

→これが冷静な意見なのだとしたら、氏は完全に正気を失っている。もはや心配にすらなる。米軍基地周辺をAとし、全く離隔した地区をBとしよう。Aに比してBの地区が敵に攻撃されやすいという場合はいったいどんな場面であるのか。もちろん、原発等の存在は考え得るが、Bがそのような特殊な重要施設と関わりない限り、Aへの攻撃可能性をBが上回ることは通常考えられない。少なくとも、Aが最も安全などということは無理無体な想定なのであり、米軍がいかに強大であれ、在日米軍の戦力は限定的であり、この無力化を図る勢力による攻撃がないという様な言にはまるで根拠がない。

 

④(中国の)「独善性をみせつけられることになった」

→中国が独善的なふるまいを見せていることは事実だ。しかしながら、これは我田引水というもので、それを言うなら米国こそ独善的である。G・ケナンは「20世紀を生きて」において、米国が道徳的な大義名分を振りかざせるなどという忌むべきふるまいは慎むべきだ、と訴えたが、それはまさしく米国が斯様な独善的ふるまいを繰り返してきたことを証明している。それは中東政策にも明白である。イランでは民主主義的手法により選ばれたモサデクを排除して、独裁政権を支援し、イラクではイランへの化学兵器による攻撃を支援し、クルド人への非人道兵器使用を黙認しながら、後にフセイン討伐の大義名分にまさにその非人道性を持ち出したのである。それを言うなら討伐されるべきは米国ではないか。いずれにせよ、独善的であるのは(近時の駐留経費の法外な要求に明らかなように)米中とも変わらぬものであり、これをもって中国を遠ざけ、米国に接近する理由にはなり得ない。私は中国の肩をもつのではないが、大国というのは常に理不尽で独善的なものであり、その認識に立たねば外交などできるはずはない。

 

⑤「日本が担うべき役割は、米軍の宇宙・サイバーシステムの抗堪性強化への貢献、月面での持続的活動を目指すアルテミス計画への参画など少なくない。日本独自の敵基地攻撃能力の保有も検討課題となろう」

サンダーバードだかアルカディアだか知らないが、最後の最後に思いつきが書いてある。もし仮に、この最後の提言が「日本の存在を米国にとっても見捨て得ざるものにする」あるいは「仮に米国に見捨てられても自国の安全を確保」ことを担保し得るものであれば、氏の提言全体は辛うじて命脈を保つことになったであろうが、思いつきにしても絶望的にセンスがない。宇宙・サイバーシステムに関して自衛隊が米軍に対して百周も二百周も周回遅れであることを思えば、改めて言うまでもなく、日本は米国の足手まといでしかなく、こんなものは貢献になどなりようがない。技術的にも運用上も日本に優位性がないのであるし、抗堪性ということにかこつけて相互運用などをとなえたところで、日本がこの分野で米軍に提供できる抗堪性に資する材料など皆無である。また、突拍子もなく敵基地攻撃能力の保有が登場しているが、日本は戦後伝統的に「日本=盾、米国=矛」の役割分担をしてきたのであり、これは現在でも変わらないのである。勿論、これを改革する必要には同意するが、一体氏の提言に如何なる位置を占めるのか。氏の言う通りであるならばこの伝統的構造に手を加える必要は小さく、もし万が一氏が「仮に米国に見捨てられても自国の安全を確保」することに色気を出しているなら、真っ先に検討すべきは核保有であることは明白(完全なMD実現は実効性に乏しい手法である上、通常戦力による中国への対抗は到底不可能である)であり、「敵基地攻撃能力」(ミサイルのみで実現するのではなく、列強並みの軍事偵察能力をも要求する)などは枝葉に過ぎない。

 

以上、すぐに目に付く様な欠陥のみ指摘したが、この短い寄稿でこれだけの粗があり、それも議論の中核に関わるものばかりなのであるから、そもそも提言としてまるで意味をなしていないと言わざるを得ない。末尾には「英文はあすのジャパン・ニューズに掲載する予定です」とあるが、このような破綻した記事を載せては、翻訳者の能力に不信がつくか、日本の新聞ないし発言者のお里が知れるので、是非とも手控えてもらいたいものである。

 

補足:断っておけば、私は本来老人というものに最大の敬意を払うものである。しかしながら、戦争で死んだ者たちに貧乏くじを引かせるよう仕向ける手合いには決して容赦したくない。彼らの中には(勿論葛西氏にも)戦争で親しい人を亡くしたものもあろうし、その弔いのために戦後努力したつもりの者もあろうが、それは都合のいい作り話と言わねばなるまい。それは、たとえばこの葛西氏の”提言”を英霊たちに見せればわかりそうなものだ。もっとも、そんなことをすれば葛西氏が祟られてしまうだろう。