小幡敏の日記

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自衛隊に入るということ

この日本で自衛隊に入るということは、刺青をいれるくらいの意味が持たされているわけですが、そういうことをしないでもよいのにするということ、その理由を問われることは当然ながら少なくないわけです。

 

以前も書いたかもしれませんが、私はその問いへの適切で確たる回答を持っているわけではありません。これについては如何様にも答えられる。

 

ですが、ひとつの側面からこれを説明するのであれば、私は核兵器で人を殺したり、米国の力を間接的に用いて他国の市井の人を殺戮したりすることに耐えられなかったわけです。

 

私にはそれがおぞましい生命への無関心に見えた。私は他人の手により人を殺すのであれば、自らの手を汚さねば気が済まない、だから自衛隊にはいったとも言えます。

 

人に殺させる前に俺のこの手で人を殺さねばどうにも収まりがつかなかった、つまるところそういうことになります。

 

私は返り血を浴びねば人を殺したくないのです。そして、自衛隊は人を殺さぬ組織だからやめました。言ってしまえば、そういう簡単な話になるわけです。

 

いずれにしても、この日本の生命への無関心というのは耐え難い。コロナ騒ぎで人は生命への忠誠心を示したと言えましょう。ですが、私にはそこに眞に切実なる生命への渇望、よりよい生への敬虔さがあつたとは思えない。

 

そこに見られたのは明らかに私たちの内にある生命への不遜であり、不実です。

 

そういう人にどういう言葉をかければよいのか、私にはどうにもわからなくなってきた、それが本当のところです。