小幡敏の日記

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なぜ自衛隊を辞めたのか

と尋ねられることはご想像の通り多い。

 

率直にいって、人が全身全霊をかけて選んでいたその事情を、単なる好奇心で気軽に聞いてくるもんだと不快である。

 

とはいえ一応回答せざるを得ないが、これまた率直にいって、その理由を一口に説明できるわけがなく、また説明したところで理解する分別も忍耐もあるとは思えない者が大多数である。

 

だから私がお利口さんであれば、適当にはぐらかして煙に巻いておくのが一番だ。だが、これは私の欠陥で、面倒でも、相手を怒らせても、やはり正直なところをすこしでも放り込みたくなる。

 

それで使っていたのが、

 

○死にたかった

○娑婆が退屈だった

○漫然とした世間にミソをつけたかった

○兵隊文化を守りたかった

○日本に健康なものを保存する砦が欲しかった

○戦うことくらいしか先人たちへの供養として思い付かなかった

 

などであるが、こんなもの、当然誤解曲解早合点の餌食であるし、ほとんどの者が読み込み不能を表すぎこちない、ニヤニヤした笑顔になるか、虚勢をはって余裕ぶった傲慢面になる。

 

それはともかく、最近私が使うのは、

 

○国民が守るに値しなかった

ないし、

○国民などより仲間の自衛官の命の方が余程大事に思えた

 

といった理由である。

だが、これまた当たり前のことで、そう言われたものは戸惑う。いや、もっと実態に即して言えば、彼らの顔には不快や不満が見られる。

 

今やそれを見咎めて糾弾する気も萎えてしまったが、まったく不思議なのは、彼ら国民が

 

「他人である自衛官に命がけで守ってもらう」

 

ことをさも当然のように考えていることだ。

 

いやいや、そんなわけなかろうて。なぜ自衛官があなたたちのために死ななければならないのだ?

そのためにいるのだし、そのために税金で養われているからというのか?

ならばずっとそういって馬鹿をやっていればよろしい、誰があれだけの給金のために、「戦って当然」と考えているものどものために勇敢に戦って死ぬものか。自衛官は戦って死ぬべきだと喚くことと、自衛官がそのご期待通りに戦うか否かということには、何の因果関係もない。

 

ご愁傷様、みなアメリカ人の奴隷にでも、中国人の奴隷にでも、なるがよろしい、日本人のために命を捨てる酔狂な日本人など、今この時代に存在してたまるものか。