小幡敏の日記

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労働者よ、新浪剛史的人間を吊さねば手落ちですよ

https://news.yahoo.co.jp/articles/4307f8385ad661c3fdacd9aff3f801eb9192a304

 

吊せというのは殺せというわけではないと逃げをうった上でいいましょう。

 

この手の子供じみた発言、子ども染みているというところの理由は、てめえの考えを世間一般に妥当すると早合点しているところにあるわけですが、こういう考えを推し進めたところにあるのは、単純な話で、ついてこられない奴は死ねってことです。

 

私はそれもいいと思う。なんてったって、自由な世の中らしいですから、そういうくずがいたってしかたない。

 

ですが、腹立たしいのはそういう手合いが善人ぶって、「日本が競争力を維持するにはそれしかない」などという言い草を使うことです。

 

それもまた、百歩譲ればそうかもしれない。ですが、そこからこぼれ落ちる人間に対するあの冷酷な人種たちの診断とは、そのまま死刑宣告であるのが本当のところです。

 

ならばそう言うがよい。足手まといは死ねと。

 

よしきた、労働者よ、あいつらは死ねと言っとるぞ、それならこちらもその気でやってやろうじゃないか。てめえの服は誰がつくってる。てめえの歩く道路、てめえの働くビルは誰がつくってる。その人間たちがたとえわずかばかりの給金を煙草やパチンコにつぎ込む人間だったとして、いったい何が悪いのか。そういう生き方を、こんな腐臭のする悪人面の男に否定されるいわれはあるまい。

 

いやいや、これじゃあ往時の左翼歌手みたいですが、そうもいいたくなる世の中ですからしかたない。私もすっかり共産主義者ですかね。

 

ニイナミのような阿呆は、ナメクジに塩をまいて縮んだといって、日本中に塩をまいてナメクジを駆除しようと言っているようなものです。馬鹿も休み休み言いたまえ。

 

こういう馬鹿を見ていて思い出すのは、赤ひげ随一の名シーン。死にゆく病人のもとに現れた「12(?)の時から酒の気の切れたことのない」飲兵衛が、酒をほどほどにして家族のことも考えろ、と言われ、「馬鹿やろう、かかあやガキのことを考えたらそれこそ酒を飲まなきゃやってられねえ、先生みたいなえらい人はそこんところがわからねぇから始末がわるい」との啖呵です。

 

なんにもわからねえ人間が好きばかりいいよって、まったく困ったものです。

 

労働者よ、団結せよ。