小幡敏の日記

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ひとりの若造ごときのために

僕はそこまで皇室にこだわりがある方ではないですが、たかが小室という独りの若造のために、「皇室の意義」が問われるなどという珍妙な意見には閉口します。

 

日本文化の中心に居続けた天皇家というのは、たったひとりの好ましからざる人物によって簡単に揺らぐ存在でしかないのか。

 

ひどい例になると、日本憲法天皇を国民の支持があってはじめて存在し得るものと規定しているのだから、国民の感情を害する今回の縁談は憲法の精神に反するなどとまでいう。

 

ここまでくるとまったく馬鹿馬鹿しい。憲法精神など自衛隊がその存在をもって堂々と踏みにじっているではないか。それに何の抵抗も示さない日本国民が今更憲法と現実のあり方との乖離から正当なな批判を導き出すことなど許されるのでしょうか。

 

それはそうと、むしろ僕が言いたいのは人間宣言によって単なる人間に引きずりおろされた天皇や、その周囲の皇族という各存在が、今回のような人間らしい醜態を晒したとして、いったい何の不思議があろうかということです。

 

みつをさんじゃないですが、だって人間だもの。

 

国民はそれを望んだのではないのか。

 

それを忘れて皇族には非人間的振る舞いを求める。それはどうしたって無理というものです。

 

自衛隊に暴力指導を禁じておきながら精強な兵の育成を期待するが如き無理はここにもある。

 

世間知らずの娘が演じた度を越した無邪気さは、それ以上でも以下でもない。あれを見て思うべきは、「人間は愚かなもんだな」ということであり、「我々人間は愚かなものだ」という反省でしょう。

 

そうそう、世間には税金が投入されている以上云々というものを伝家の宝刀のように思っている者が案外多いようですが、銭で物をはかるから誤る。

 

だいたいが、銭を基準に始めた改革狂の時代が何を生んだか。

 

銭で量れるのは、MasterCardで買えるものだけですよ。

 

そんな当たり前の常識をとりもどさなければ、我々は今後もくそもみそも一緒くたにして、あらゆるものをくそまみれ、いや、銭まみれにして、我が身諸共滅びていくことになるでしょう。