小幡敏の日記

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緊急事態宣言やるならやるで

緊急事態宣言が出ました。

なにがどう変わるのかももはや判然としない程度の内容で、これくらいならさっさと出せばよいのにとは思いますが、これも総理お得意の政治判断なのでしょう。こういうものはぎりぎりまで耐えて出すことが最大のインパクトを与えて、かつ国民からの反発も少ないなどと吹き込んだ悪漢がいたにちがいありません。

 

ですが、こんなもの、なんでもない。むしろ本当に「判断」するべきは、この災禍をいかに今後の国家改造に繋げるかです。

 

総理は憲法改正を言う。確かにこの騒動の中でその話を出すのは得策ではない。しかしながら、かの憲法が行き過ぎた私権保護と緊急事態への盲目とを基調としている以上、この問題の顕在化のための好機がまさに今ではないか。

 

私権制限は時に必要であり、それによって国民は守られる、そんな当たり前のことでも、この国の国民は実地で経験させられない限り平時では決して問題にもさせません。

 

だからこそ、こういう時にそれを全力で実現して国民に経験させる、そしてそれを然るべき後に憲法改正ないし制定へと繋げる、それが本気で憲法に手を加えたい者がとるべき方策でしょう。そしてそれは、この騒ぎの収拾にも役立ちます。

 

日本人は75年間もの間真の意味での危機を経験してこなかった、そのことが一番問題なのです。こんなものが戦後最大の危機だというのが本当なのだとしたら、日本は戦後なんの苦労もせずにやってきたといっても過言ではない。

 

もちろん、苦労したことにはしたのでしょう、しかしそれは全て消費のための苦労であって、質的な向上を目指すものではなかった、そのツケがここにきて明らかになっているといってよいのではないか。

 

日本人は奇妙なもので、緊急事態宣言を出す前は概ね安倍首相を糞味噌に貶していた。しかしながら、いざでると日本人は強制されなくてもできるとか、こういうときは文句言わずに協力しようとか、全く奇妙な耐乏精神を見せる。

 

それはこのじめじめとした国では美徳と見なされますが、率直に言えば堕落でしかなく、政治への緊張の欠如です。そんなことだから安倍以外にいないとか何とかいって、政治の腐敗にも取り澄ましたような醜い姿勢でのぞむ。曲がったことには毅然として怒りを唱えることが、まるでこどもこどもじみた短絡的な反応であるかのように振る舞う。

 

こんなバカなことがあるでしょうか。白いものは白い、黒いものは黒い、有権者風情はそういうことを言うのが務めです。斜に構える必要などどこにあるのか。

 

その曖昧さが政治から緊張を奪い、安倍首相のヌルヌルした訳の分からない「政治判断」を許すのではないのか。政権の戦略なき対応も問題ですが、国民のこの滑稽な耐乏精神も問題です。

 

国民は国民のための政治がないと文句をいいながら、その実現から逃げているとしか思えない。本当にそのような政治がほしいなら、それにふさわしい行動をとらねばならないでしょう。

 

そして今回のこの宣言、おそらくはこのままずるずるとやって、いつかは収束します。そして、まぁ危機とはいえ、なんとかこの程度で済んだ、やはり日本人に私権制限などなくてもなんとかなった、ああよかった、と安心して狂騒曲は終わります。

 

しかしながら、思いを致すべきは、人類が経験してきた危機はまさしくこの程度のものなどでは到底なく、桁違いの危機であったのであり、だからこそ強権的な対応が不要であるはずがないのです。

 

日本人はまたしてもこれに目をつぶるのでしょう、そして本当の危機の前に茫然と立ち尽くす、そんな姿が思い浮かんでなりません。

 

それがいやなら、今すぐにでも対応を強化したほうがよい。それはコロナなどに対応する以上の意味がある、そういうところに是非とも安倍首相はじめ政権にある方々には思い当たってもらいたいものです。