小幡敏の日記

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宗教とはなにか

最近エホバだなんだと喧しいが、テレビやネットに溢れる『宗教批判』の中に、私は真面目なものも、なるほどと思えるものにも、ただの一つも出くわしたことはない。どれをとっても、およそ真剣に宗教と向き合ったことのないものが、『太陽は暑いからぶっこわせ』と言っている程度のものに過ぎない。あんなものは批判と呼べる代物ではない。

(断っておくと、仮に所謂宗教二世が生まれてのち文字通り地獄の様な幼少期を過ごした末の『宗教批判』であっても、そんなものはそれだけで批判に値するとは限らない。同情こそすれ、人は火に焼かれたものが幾ら訴えたとて、火の使用の停止には同意しない。)

 

それはともかく、表現者クライテリオンの12🈷発売号に宗教に関係する話を書いた。内容は発売されたものを読んでもらえばよいが、正直いって、『エホバはとんでもないやつらだ!』といって騒いでる者に何を言っても通じない気もしている。(これも断っておくと、私は特定の宗教団体に肩入れする理由も由来もない。エホバが良心的な団体だというつもりもない(悪の教団というつもりもない。要するに関係がない。))

 

それもまたともかく、宗教とはなんだと問われれば、私は『人間の真面目さ』だと答える。宗教が真面目なものになっていなければ、それは人間が不真面目なだけである。

 

そして宗教という存在を欠いて人が真面目さを持ち寄れないということ、維持し、規律してゆけないということは、いみじくも我が日本の無宗教市民が証明してくれているのである。

(繰り返し言うのも馬鹿らしいが、私はいかなる宗教団体にも属さず、また関係する者もいない)