小幡敏の日記

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大岡昇平について

昨日早稲田大学で國策研究會主催の浜崎洋介氏講演会に出向いたが、講演後にいくつかあった質問がどれもまあ無礼なものばかりで、俺はやっぱりこういうのは出来ねえな、と改めて思った。

 

もっとも、これが政治運動ならば、悪魔でも気の良いやつとは取引してやろうかというくらいには丸くなってきた三十代だが、言論活動となると、なかなかそうはいかない。私はあくまでも、純粋にこれをやりたいから、信頼し合える相手以外とはとても協同できず、それ故にいつでも一人か少数の仲間しか得られないわけだ。それじゃあだめだとわかっていても、こればかりは性分だからそう易々と変えられるものでもない。

 

それはそうと、帰りに先般発売のクライテリオンを読んでいたら、巻末に件の浜崎氏が原稿を寄せていて、私の本に言及しておられる。

話は大岡昇平に向かうが、ごく簡単に言うと、

私「大岡は戦争の渦中でもかまととぶっていやがる」

浜崎氏「批評的態度を崩さない大岡の視野には小幡の求める日本大衆の生き方をも含まれている」

ということになろうが、これについて少し答えておきたい。(反論ではなく、立場表明として)

 

まず、さすがは浜崎氏というところで、あの本で大岡を引いたところは、私自身書きながら不安だった箇所である。講演会ですらそうだったが、一般の聴衆ないし読者は、その多くが粗探し、揚げ足取りで向かってくるから、書いている方は、「ああ、これだと絡まれるな」「あの手合いはこう難癖付けるな」と思いながら、註をつけたり説明を付したりしてみる。しかし、こうしていると文章が随分ぎこちなくなる、汚くなる。色気や邪念が混じるとよくは書けない。子供の絵が下手でも味があったりするのはそういうことで、彼らには迷いがないから未熟なりに統一調和した良い絵が描ける。オトナはその瞬間瞬間で無駄な意識が働くからこれが出来ない。それで下手な絵を描き、汚い文章を書く。

 

大岡の引用箇所は、初め書いたのが、そのまま本にもなっている。実はそのあと、色々と大岡を弁護というか、私の保身のために大岡への批判的態度を幾分薄める説明を書き足したが、汚らしいということで削除した。都合のよい言い逃れかもしれないが、やはりそれはまずかったのかと思う。あれではやはり、大岡をけなしているようで、今ではどうにも済まない気がしている

 

実は私も初めて立ち止まってつき合った文学作品が大岡の「野火」(中学の卒論で扱ったため)だったこともあって、大岡の『文学』(≠戦記)が持つ豊かさに対して、幾分は理解があるつもりであり、それこそ大岡が批評的態度に「居直って」いるとまでは思っていない。

 

ただ、それでもなお言うのであれば、やはり私は大岡があまり好きではない。しかるに、浜崎氏の言われるとおり、彼の批評家の眼というものは並大抵ではない。軍隊組織の中であくまでも個人で居続けるということの困難は、尋常一様の努力でなしえるものではない。単なる意地で出来る事ではないのだ。今時のリベラルなんて絶対に出来やしない。往事の軍隊とは比べものにならないほどぬるい自衛隊にあってさえ、個人であろうとすることは、相当の覚悟と鍛錬を要することであり、それを完遂している者などほとんど居ないと言って良かった。 

 

だからこそ、私は大岡の異常な努力とそれをなし得た才能、そしてそれがあの作品群として結実したことを讃え喜びたい。日本にとって、否、日本軍にとってそれは、今となっては他に代えがたい記録であり、戦争文学の金字塔であるとさえ思う。

 

だが、たとえば安吾をして批評が生き方になっているのはあいつだけだと言わせた福田恆存であっても、はたして批評の眼しか持たなかったのであろうか。それこそ、横丁のそば屋でかき揚げを頬張っている時もかれの眼は批評家のそれであったか。いや、そば屋の親父とひと言ふたこと言葉を交わす時も、その眼は親父の心を批評家の眼で見ていたのか。そういうことが気にかかるのである。

 

或いはそうだったのかもしれない。しかし私はそれじゃああんまりさびしいじゃないかと、そう思ってしまうくらいには愚鈍に生まれついている。しいて言えば、彼は戦争と軍隊の中で否が応でも大衆同胞とともに生きることになった。そこで同胞とともに生死をともにし、運命を同じくしてもなお、大岡が批評家であり続けた、引用箇所で言うなら、「偽りの感情」というようなことを言いたくなるようであるなら、私は非常に寂しい気がするのである。私自身の中にもある大岡的気質を思う時(強度は遙かに劣るとはいえ)、同胞につながる、同胞と混交する経路がまったく絶たれてしまうような気がするのである。それがいたたまれないからこそ、大岡のあのある種の潔癖、よく言えば誠実、悪く言えば可愛気のなさ、浜崎氏の言葉を借りれば「照れなくて良い照れ」が嫌なのだ。

 

言い換えれば、大岡への違和感というのは、自己の不安の裏返しでしかない。何なら、大岡の方が正しいとさえ思っている。言うなれば、アカデミズムに対する感情とも似ている。ああいう在り方は必要である。間違っているとも思わない。しかし、本を食って生きているような顔をするアカデミック人士をみると、私は「食えないな」と思ってしまう性質なのである。いずれにしても、いい加減なのは私の方で、反省すべきは私であるのかもしれないが、もう少しこっち側の可能性を広げられるんじゃないかと思って、今迄どうにかやってきてはいる。

 

 

それはそうと、浜崎氏も問題にしていた末期の言葉。これは非常に興味を引くテーマで、私も「天皇陛下万歳」「お母さん」などを、それを言わせた環境や条件などと合わせて自然な位置づけを与えたいと常々思っているが、いかんせん、末期の言葉を記録しているのは必然的に本人以外の人間であり、それ故にこの詮索には困難がある。

こんなところではないかというあたりはあるが、それを根拠づけるほどの事例が足りない。いずれ取り組んではみたいが、誰も興味が無いかもしれないからどうなることか。しかし、こういうところから日本人の信仰、日本人の生き方というものを積み上げていかなければ、如何にしても砂上の楼閣にしかならないと思うのだが、どうだろうか。