小幡敏の日記

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選挙にいかないやつは云々

よく言われます。

 

僕が選挙に行かんのを責めるうっかりさんも時折あります。

かつて私が色々と義理立てしていたときは、真面目に投票所に行って投票用紙を破り捨てて帰るという仁義切りをしたものですが、それも馬鹿らしいので最近じゃ投票用紙が届くそばからこれを捨てています。仁義をきるほどのことを世間じゃしていないのですから、それくらいのことは大目に見てもらわねば割が合いません。

 

それはともかく、どうしても解せないのは、あの選挙活動の見苦しさをなぜ皆が認めていることです。

 

選挙カーがうるさいとか名前の連呼で何が分かるのかとか、そういう脊髄反射に近い反応こそあれ、政治家をして有権者に媚びをうらせることの見苦しさを問題にする者はあまりおりません。

 

「どうか、どうか○○を、国民の皆様のために働かせてください」

 

とか、

 

「今の私があるのは全てみなさんのお陰です」

 

とか、

 

なんでもいいですが、あんな馬鹿みたいな下手な演技は、日本の薄ら寒いテレビドラマですら許されていないのではないでしょうか。

 

それが選挙となると、なぜかまかり通る。個々人はどう思っているのか知りませんが、国民様全体でみれば、どうやら彼らは政治家が自分たちに土下座してすりよる態度をとらねばどうしても認めたくないらしい。

 

ですがね、いいですか、常識で考えてごらんなさい。我々とて、あんまりへりくだって慇懃なセールスマンをみれば、何か裏があるのではないかと思います。イエスマンが会社や上司のためを思っているものだとは思わないものです。厳しさを知らない教師が本当に生徒のことを思っているなどとは考えないものです。

 

「いやぁ奥さん、素材がいいからうちの化粧品使えばまるで女優さんですよ!」

 

なんてことを言っていたら、そのセールスマンはきっと落第点をもらうはずではないですか。

 

だったらわかりそうなものじゃないか。いい年をして桃太郎よろしく旗までもって、お誕生日会でだって付けない襷までかけて、これ見よがしに雨の中を自転車で走って見せて、そんなやつが我々のために働くわけがない。

 

そもそも、まともな人間だったらあんなみっともないことを半ば強要される選挙をくぐりぬけて政治家などになろうと思うわけがない。

 

国民はあほだから、政治家も苦労しなけりゃだめだというが、あんなものが苦労と言えるものか。恥を知れという代わりに恥を捨てろというのは、日本人の実に嫌な性質です。名誉を守ろうとすれば、高飛車な高慢ちきだという。私も小学生のときにみっともないからという理由でパン食い競争への参加を拒否したらえらい怒られました。

 

まあいいさ、自分の名誉を守ろうとしないものが人のために働いたためしなどないということが分からないなら、永久に自らの奴隷に金をくすねられていればよい。従者を奴隷として扱う限り、彼らはきっと隙あらば我々のうらをかくだろう。

 

なにがいけないって、やっぱり国民が悪いんですな。だあれも国民は責めないが、そら国民様が裸の王様ってことです。国民は自らの頭の上に自分たちより優れたものを戴きたくはないのです。だからみっともないばか者であることを条件に、初めて為政者にしてやる。そら芸人がいっぱしのコメンテーターになるわけです。立派な人間に立派なことをいわれては立場がないということでしょう。つまりは、自分よりも優れた人間というものを受け入れる覚悟がないのです。してみれば、立派な人間が政治家として現れないことなど、自明ではありませんか。

 

ひとつ確かなことは、私のことはさておき、最高権力者である国民のことを批判するやつはそれだけで少しは信用してよいということです。なぜって、そんなことをしても何の得もないどころか、袋叩きに遭うのが関の山なんですからね。

 

ちひろ飯作れ。