小幡敏の日記

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生活感覚の変化についていけない

最近子供に付き合って昔のアニメなどをみているが、自分も昔見ていたものがおおく、大変なつかしく面白い。

 

私は平成三年生まれなので本来ならデジモンやワンピースなどが見られていたように思うけれども、その手のものには関心を示さず、幼い時分は手塚アニメやバカボン松本零士などを主に見ていた。

 

しかしながら、そういったものを今になってみていると、やはり時代の雰囲気というものが大変に変わったと気付かされる。

 

バカボン一家は引っ越しのためにトラックの荷台で当たり前に移動しているし、どのアニメも共通して暴力が極めて生活に溶け込んでいる。

 

そんなものアニメだからだといってしまえばそれまでだが、どうもそんな風には思われない。

 

みなしごハッチがクモに妹をさらわれて、諦めろ、敵いっこないととめる者に向かって「死んだってかまわない、このまま放っておけるか!」というところなど、実に痛快だし、今の日本人には絶対に言えない台詞だ。

 

これに限らず、私にとってはそれがナンセンスものであれ、昭和のアニメの世界の方が余程居心地がよいことは間違いない。

 

バカボンのパパだろうが、ヒゲオヤジだろうが、私にとって彼らは世間の紳士淑女よりはるかに親しめる存在である。

 

そして、それは単なるノスタルジーというより、人間の社会性が解体され、社会の規約が決定的に書き換えられたことへの不適応に由来するのであり、私自身のいわば適応障害の度合を示しているが、それはいかほどの罪であるのか。

 

私には世間の人々の方が余程狂気染みているように思えてならないし、その障害は申し訳ないが私のものなどより遥かに重篤であろうと思う。