小幡敏の日記

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おれがおかしいのか

昨日だったか、国会議員たちが銀座で遊んでるというニュースがあって、まだまともなばかたれもいたもんだと眺めていたら、国民諸兄はそうは考えんらしい。

 

彼らのうちひとりはこういっていた。

 

自粛は我慢することだと思っている国会議員はその認識からして国民とずれている。まともな国民の大多数は本能的に怖いと思っているから自粛しているのだ。そんな当たり前の感覚すら持てない人間が議員についていいのか、と。

 

そしてその御見解に対しては皆諸手をあげて支持しているようである。

 

そうか、そうなるとおれがおかしいことになる。おれがもし自粛しているのだとしたら、それは紛れもない我慢でしかない。本能だなんていわれたらもう笑うしかないが、おれにもし本能があるのだとしたら、おれの本能は全く危険を感じていないらしい。

 

いや、危険というが、そらリスクといえんことはないことくらいはわかる。だが、おれたちは毎日リスクの中を薄氷を踏むように生きているのだから、全てのリスクに怯えていきるわけにはいかない。犬の糞を踏まぬように下ばかりみて歩けば怖いお兄さんにぶつかることもあろうし、風の日に毛虫を避けて道の真ん中を歩いていようものなら、そんな馬鹿は轢かれるだけだ。

 

そういう諸々のリスクに平衡を保って生きようとするのが我々の常識のはずではないか。

医療崩壊とか他人を殺してしまうかもしれないなんてことを言っててめえの単なる臆病風を糊塗してはいけない。おれは人生千鳥足で歩くにせよ、おっかなびっくり忍び足は御免だ。

 

いやいや、これには驚かされた。おれはてっきり、国民の過半は我慢してるもんだと思って一縷の望みをもっていたんだ。またあの日本人の臆病、むやみやたらな耐乏式加持祈祷がでただけなんだと、少しは慰めにしていた。

 

それが進んで行うもんだなどと声高らかに宣言されてはたまらない。それではおれは、ノータリンの国会議員たちと一緒に銀座で飲んでいたほうがましだ。

 

頼むからせめて我慢してるだけだといってくれ。それだって本当は十分にがっかりもんなんだぞ。