このブログは電車の移動時間や適当な空き時間に携帯でコチョコチョと書いている、
我ながら恥ずかしいくらいにいい加減で申し訳ないものではありますが、
なんだかんだといって月に千くらいのアクセスがあります。
私は分析ツールなど何も導入していないので、このうち実際に読み手に
なっている方が何人いるのかなどについては一切不明ですが、
恐らくは大変に少ない数なのではないかと思います。
しかしながら、こういうことはどの媒体でも事情は変わらず、
例えば雑誌などに出している寄稿についても同様であり、
一体どれだけの人が読んでくれているのか、また、どのように感じているのかに
ついてはまったく手ごたえがありません。
書くというのは不思議なもので、当初はまさしく書かざるを得ないわけです。
言いたい、書きたい、そういう衝動が圧倒的なものとしてあって、それをぶつける、
その後には何もなくても構いません。
が、そういうことをしばらくやっていると、だんだんと事情が変わってきます。
その書く内容がどのように受け入れられているのか、或いは、
目的に対して適切な手段となり得ているのか、そういう感情がどうしても湧いてくるわけです。
いや、私に関して大きいのは、同じ志を抱いてくれるような男がどれだけいるのか、
そういうことが気になって頭をもたげてくる。
ですが、反応はないわけです。いや、あるにはありました。
でもそれはすべて知人ないし知人づてであって今一つ実感にかけます。
なにがいいたいかというと、私は今ちょっとした岐路にあります。
実生活上のことで言えば、自衛隊を辞めてもう九か月がたち、
来月からは民間の会社で働くことになっております。
この会社は公共性は極めて高いですが、安全保障とは直接関係ありません。
要するに私は自衛隊とは関係のないサラリーマンになる。
サラリーマン風情が言論にどう取り組んでいくか、これは案外に難しい問題なわけです。
私はいままで原稿料は辞退して書いてきましたが、それは私が実名を伏せてアマチュアとしてやっていることの自覚に基づいておりました。
だが、これもどうすべきか。サラリーマンでありながら書くのであれば私はむしろ
実名で責任を負いながら書きたい。
私はまだ今後の言論への関わり方に態度を決め切れておりません。
何が言いたいかというと、もし私が書いているものを読み、なにがしかの
感情を持っている方がいるのなら、それを伝えていただきたいのです。
それは批判でももちろん結構です。
というより、何でも結構なのです。要望でも、質問でも、手段はメールでもコメント欄でも、何でも結構です。
私はそういう応答の中で今後の方針を決めていきたいと考えています。