この時分に六本木に仕事の用事で来たもので(六本木にきて酒も呑まんとは、落ちぶれたものだ)、中高六年間歩いた乃木坂までの道を帰った。
思ったより景色は変わらず、あの頃考え事をしながらうつむき加減で眺めた道のタイルなどが大変に懐かしい。連れ込み宿から出てくるバカな阿呆どもなど目にも入らないくらいだ。
そういえばあの頃、私はこのけばけばしい街を歩きながら、なんとかしてこの腐敗を打ち倒してやろう、この街に巣くう連中を払いのけ、清浄な仲間が報われる世の中をつくりたいと毎朝毎朝、遅刻にも焦らずにてくてくと歩いたものだ。
それがいまやどうだ。もう私にあの頃ほどの情熱があるか。あの頃ほどの信念があるか。どこかで敗北を受け入れてはいないか。
思えば自分でも馬鹿馬鹿しいほどに毎日燃えたぎる郭清への意志に突き動かされて生きていた。決して楽しい日々ではないが、怒りに燃える日々はどこまでも私を興奮させ、発奮させた。今や私は当時の私に軽蔑される白けた大人の一人に過ぎないのではないか。
この苦しくも燃える火に照らされた道を歩いていると、そう思えてならない。
私にはもう、あの一途な、迷いのない、怒りと真心はないようである。