小幡敏の日記

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宴会なんて結構じゃないか

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20210329-00419884-toyo-bus_all

 

あいや、官僚諸君、案外君らもやるじゃないか。この監視厳しい中決行するとは。いっておくが、「これだけ言っているのに従わない」というのは、ただの無分別である場合もあるとはいえ、今般のことに限れば、極めて意志的に「抵抗」し、「努力」し、むしろ「犠牲を払う覚悟」さえしていると考えた方がよい。叩かれる可能性をいくらかは承知で覚悟してやっているのだ、それを軽々に軽率と責めてはいけない、きっと彼らはそれを責める連中よりはるかに強度の自覚的な意志を持って、はるかに大きな犠牲を払って飲みにいっているのだから。

 

想像するに、これは邪推されるように「これがやつらの本質」などではなく、心ある一人の上司による、心意気の結果だったのではないか。

 

これに、「ああ、一線を越えたな」という反応がされるのにはまったくくらくらしてくる。

 

一線とはいったいなんですか?

 

今日図らずも仕事中に、罹患者を受け入れていた施設の人間と話をして、防護服を着て罹患者のいるフロアに行くときはそれこそ戦場に行く気持ちでした、というのを聞いた。

 

いや、その人は大変親切でいい人だから悪くいいたくはないが、そんなものが戦場であってたまるか。

 

数字という狂者の利器を用いてもなお、あまりにも貧弱なコロナさんがお散歩している場所を戦場と呼ぶなら、日本を一歩外に出ればきっとそこは全て無間地獄だろう。私なら銃弾飛び交う戦場にいくくらいなら、一生コロナと同衾してても構わんよ。それを同じとは、では是非代わって戦場にいってくれたまえ。私は防護服なぞいらん、コロナなんか爆薬にくらべりゃ、素手で十分だよ。

 

もう大袈裟に怖がるのもここまでくれば立派な病気です。

 

なにが一線だよ。

厚労省の官僚諸君、大いにやってくれ、あなたがたは本当によくやっている、馬鹿の相手ほど疲れることはないのに、たまに飲めば馬鹿が群がって足を引っ張ってくるのだからたまらないだろうよ。出来ることなら私もそこに加わりたいくらいだ、次回は是非呼んでくれ。

 

いい加減にしてくれ、正気はどこへいったんだ。あいや、正気なんてかあちゃんのお腹の中に置いてきたんだっけか、こりゃ失敬。