小幡敏の日記

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文系と理系、ばかいいなさんな

日本人はレッテル貼りというのが好きなもんですから、文科系(文系)、理科系(理系)というのをやたらと問題にします。

 

最近では文系が守勢に回っていて、日本企業の敗色は無能な文系経営者により理系技術者が不遇にあったせいにされたり、あるいはコロナ対応の体たらくの原因を、政治家やマスコミが文系出身者で占められていることに求めたりするものがあります。

 

てんでお話にならない。そら山で育てば生魚は食わないかもしれんし、海で育てば野草など食い物に見えないということもあるだろうよ。

 

しかし、仮にこの二分法がそれほど立派なものであり、さらには理系の方に「現実を正しく分析する力」を認めるのであれば、コロナなどというとるにも足らない事象について、理系の最優等生を引き出してさっさと結論を出したまえ。そんなことも出来ないで、こんな乱雑な区分が通用するのだというならお笑い草だよ。

 

いや、そんな風に言うには及ばん。宜しい、理系だけで立派な会社をつくるがよろしい。立派な社会をつくればよろしい。それも、仲良しグループでなし、大きな、我々の生活を成り立たせるほどのものをつくって頂こうではないか。

 

迂遠な言い方をしたが、僕は文系の必要を説くのではない。そんなものはどうでもよろしい。そもそも、文系なんざこの国にいくらもおるまい。

 

そういうことではなし、つまり、この無能、日本における理不尽と不合理は履修科目の傾向なんかで免れたり克服したりするものではないということだ。

 

言うなれば、こんなものは日本人全員、文理を問わず備えた欠陥である。

 

それは何か。それは、物事をありのままに、事実のままに捉え、それに付き合い、格闘してゆく知的な意味での誠実さと勇敢さに他ならない。

 

文系を屠ったところで、軍部を屠った戦後日本と同じ末路が、より衰弱して一面的な日本が出来上がるだけだ。

 

そうして最後に残るものはいったいなにか、そんなことも考えずに理系的思考とやらの軍門に降るのであれば、それはそのまま我々の地獄の門になると、いい加減に気付いたらどうなのか。