小幡敏の日記

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反省の態度

僕は反省ということをしきりに求めるが、果たして、反省の態度とはいかなるものか。

 

ひとつ言えるのは、反省は人に沈黙を強いるということだ。

 

反省している人間が饒舌になることは考えられない。

 

然るに、巷にはえらく賑やかな反省人もいるものである。

 

僕は彼らを決して信用しない。反省は辛いものである。少なくとも、愉快なものではない。それに耐えて反省するとき、人は沈黙する。僕は沈黙する者の姿に、心からの共感を覚え、声援を送る。

 

 

 

それとは別に、先ほどジョンソン氏が辞任したとの報に触れた。どこぞの教授が、『ジョンソンがどういう人間が、近くに居ればわかりそうなものだ。その威を借りて権力にあやかっていたものが今になって辞任する。日本が手本としてきた英国政治の劣化を思わざるを得ない』などと、相も変わらぬヨタを言っておったが、誠に残念。僕はジョンソン、なかなか好きだった。

 

加えて、参院選がやかましい。僕は断固選挙には行かないが、地元の駅じゃ共産党がよく立ちん坊をしているのを聞くとげんなりとする。

 

もう共産党が平和を言い、穏当な社会保障を言うのはやめないか。最も好戦的で過激な改革派であるべき共産主義者どもが何をかまととぶっているのか。女郎が厚着をしてどうする。女郎らしく肌を出して嬌態を見せてくれればいいのだ。慎ましい共産党など、去勢された番犬に過ぎぬ。