小幡敏の日記

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自衛隊さんありがとうで済ませちゃいけない

災害派遣があると毎度この流れですが、多少の批判めいたものを塗りつぶす形で『自衛隊さんありがとう』が叫ばれて、国民の中にある曖昧な軍民関係に対する潜在的な不安をかき消すわけです。

 

寝たきりにでもなって初めてしおらしくなる老人みたいなもので、こんなもので万事済むとは思わないほうがいい。

 

もっとも、災害派遣に従事する隊員一同が一生懸命に取り組んでいることを否定するつもりはないし、彼らが人助けを通して幾ばくかの充足感を得られることもまた事実ではある(実任務を持たない陸自隊員にとって災害派遣は実感を伴う唯一の任務である。なお、平素陸自隊員は、まったくのごっこ遊びの中で虚ろな気分の中にあることも認識すべきだ)。

 

しかしながら、それで『施す者』と『施される者』の関係が良好に保たれているのだと早合点してはいけない。

 

繰り返しになるが、自衛隊にとって災害派遣は主任務ではなく、忙しく人手不足の彼らにとっては『厄介事』である(現に派遣されている彼らが嫌嫌やっているのだと言いたいのではない)。

 

何が言いたいのかというと、災害派遣はあくまでもオマケであるのだから、そんなところでだけチヤホヤされても、彼らの傷めつけられている自尊心が癒やされるものではない。

 

言うなれば、普段声もかけてもらえない不細工が、引っ越しのときだけ力持ちだとおだてられても、彼のロンリーハートは癒えないということだ。

 

現にこうやって自衛隊の活躍が認められたって、現職の自衛官の多くは依然として腐っている。今だって、やってられん、辞めたいという声が届く。

 

彼らは声をあげないが、現状の自衛隊の扱われ方に満足しているわけでは決してないのだ。この国の軍人に対する取り扱いは、『兵隊さんは神様です』といっていた戦前からずっと一貫して低い。貧乏人にひかせる貧乏くじであり続けている。それを許して平気な顔をしている自衛隊高官は万死に値するが、国民の方もいい加減に気付かねばならない。

 

災害派遣程度だから、事は丸く収まっているのであり、これが文字通り命のやり取りになれば危ういものだ。僕は自衛官の中に一般人以上の善良さをたしかに認めるが、彼らがこれまで散々不義理を尽くしてきた国民のために命を投げ出して戦うとはとても思えないし、それを期待することは酷なことだと思う。『税金で養われているんだから』云々というような無責任なやじで解決できる問題ではない。(だいたい、では時給千円の警備員が給料をもらってるからといって群れなす強盗団に立ち向かえ、それが当然だと言えるのか。今の自衛隊中共露助と戦えというのはこれに等しい)

 

こういうときこそ、自衛隊高官が腹を括って発言しないでどうする。盲たる民の方はしらんが、彼らには毎度実に腹が立つ。馬鹿を見るのはいつも現場の隊員ではないか。