小幡敏の日記

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北國の友

昨日まで三泊四日で北海道におりました。

自衛官を辞めて林業兼猟師になった友のところに厄介になり、久し振りに愉快な時間を過ごすことができました。

彼は『このまま自衛官を続け、全てをこの国と自衛隊に捧げる覚悟がなかったんだな』と言っておりましたが、それは彼の謙虚で誠実な性格が言わせたのであり、長く寝食を伴にした私に言わせれば、彼は勇気と忍耐と忠誠心に富んだ男です。むしろこの国が彼を軍人にしておかなかったというべきでしょう。

彼もまた、『おれは軍人になりたかった。自衛隊や1等陸尉なんて、そんなものに満足はできやしなかった』と言っておりました。

 

自衛官のみんながみんなそのように考えているとは言いませんが、一人の誠実な男が無念の内に自衛隊を去ったということはここに報告しておきます。彼は、優れた軍人になる資格があった。それが日本の現実を前に敗退していったのであります。

 

その彼と鹿を追って山を歩き、北海道の大自然の中を四駆で駆け回るのはなんとも幸福でありながら、一抹の寂しさがついて回ったことは否定できません。私たちにとって、自衛隊を辞めて得られた自由は無上の解放感をもたらすものですが、彼もまた言うように、『こんなにも自由で幸福であるのにどこかで満たされぬのは自衛隊の呪いだろう。平坦で快適な日常は、我らにとっては退屈と焦燥の温床に過ぎん』ということなのであります。

 

自衛隊の近況を聞くに、状況は絶望的ですが、いったいどれだけの人間がこれを理解しているのか、それを思うと頭が痛くなってきます。自衛官とて、はっきり問題としている者はないのではないか。予算を増額するように、自衛隊のここをああしてこうやれば状況がよくなるとでも合点しているのではないか。そうだとすれば、いよいよ状況は絶望的であるという他ありません。

 

なにはともあれ、我が良き友よ、北の大地での成功を祈る。


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『忘れられた戦争の記憶』について

二冊目となる標題の本を出して二ヶ月以上経ちました。

特段反響もないため、著者としては全く暖簾に腕押しというか、手持ち無沙汰な状態を強いられているわけですが、これは一冊目でも慣れているので、黙って日常に耐えるしかないわけです。

 

しかしながら、無駄口を叩くのであれば、今回の本に僕は持ちうる全てを注ぎました。今後、どういうものを書いていくか分かりませんが、この本ほどに必然的に生み出されるものはないでしょう。この本は僕の分身というか、僕自身であるといってよいほどに、僕の全てを表現したものと思っています。

 

しかるに、これが所謂戦争本として受け取られるのはやや心外なところで、優れた戦記紹介本であるとして肯定的にみてくれる読者に対しても、また、有象無象の戦争回顧本として否定的にみる読者に対しても、等しく満足しないわけです。

 

これは戦争を対象にしてはいるけれども、戦争を通して日本人を見つめた本なのであって、戦争は言わば舞台装置に過ぎません。

戦争を知るということは大事なことではありますが、それが日本を、そして日本人を理解するものでなくて、いったい何の意味がありましょう。

僕はこの本を通じて、知識の習得を促しているのではありません。反省を求めてるのですらない。いや、反省はせねばなるまいが、大げさに言うのであれば、僕は日本人が再びまともな足取りで歩き出すためにこの本を書いたのであります。

 

そういう意味では、書名がよろしくないという批判はあたっているでしょう。

そればかりは色々事情もあることだからご容赦いただくしかありません。

 

いずれにせよ、あえていうのであれば、これは戦争の本ではないのです。日本人の本なのです。

 

であるからして、戦争に興味がない人であっても、日本人であるならばこれを読んでもらいたいのだし、良き日本人であるためには、こういう迂遠な道をたどらなければならないのだと信じます。

 

自薦するわけではないですが、この本の如き日本人論は、さほど多く刊行されてきたわけではありません。

 

なにはともあれ、この本は僕が僕自身のために書いた本です。僕は書き手であると同時に、むしろそれ以上に、読み手であったわけです。

だから僕はこの本が良い本であると言うことを、自惚れとは感じません。僕はこの本の中に正気に帰るための一条の光を見たわけで、僕にとっては無条件に良い本であったわけです。

そしてそれが故にこそ、この本は日本人のために書かれた本になっているのだと、そう期待しているのであります。

 

僕にとって、良き日本人たり得るということは、見果てぬ夢です。そういう日がくるのだと、頭で考えているわけではありません。しかし、その夢を追い続けるための営みがこの本を書かせました。

この本がそういうものとして読まれることを切に願います。

 

日本人的根性

https://approach.yahoo.co.jp/r/SwgTLr?src=https://news.yahoo.co.jp/pickup/6477275&preview=auto

 

ネットニュースを拾って何か言うのは趣味ではないが、これはいくらなんでも酷いのではないか。

何が酷いって、この事故に対する日本人連中の反応だ。

無免許で運転するのが悪いのだというのはわかる、他人を殺す恐れもあったというのも一応はわかる。

だが、下記のような意見がコメント欄を埋め、圧倒的多数の支持を得ているのには唖然というか、日本人もここまで健全な道徳感情を溶解させたのかと思う。(とはいえ、周りの連中を見るに、ネットニュースの掲示板に限った話ではないように思う)

 

(以下引用)

多くのルールは命を守るために存在するので、破ればこうなるのは当然の結果です。無謀運転の結果人を殺す結果でなくてよかったと思います。

2人乗りは今回が初めてとは思えませんが、カメラで後からナンバープレートを追跡、罰金、自宅や会社に連絡して警告などができるならこの方々をもっと早く止められたかもしれませんね。

人から見られているということと、絶対にバレるというのが抑止力なので。

そういう意味ではこのような人間はいなくならないのに法律が追い付いていません。法改正は必須だと思います。

 

私も昔、自動二輪を運転していたが、二輪車は普通車から小さく見えて直近右折に巻き込まれる事故が多いと言われてきた。
実際にその通りで、何度もヒヤッとした。
やっぱり二輪車の運転はそういったことへの危険予知と経験。
どっちが悪いということより、死んでしまっては意味がない。

件の高校生は無免許。
知識もなければ経験もない。
運転免許がなければ運転してはいけないことも知っていての無免許運転だろう。
同情はできない。

(引用終わり)

 

縷々説明するのも馬鹿らしいが、少年二人が事故死した本件を「当然の結果」といい、あまつさえ「良かった」とまで言うのは、良心どころか正気さえ疑う。相手が無傷だったのなら、一般の感情からしてもなおさらである。このガキ二人がいかに無謀なことをして、またそれが「ルール違反」であり、他人を殺める可能性を有していたといって、それがどうしたのだ。二人の少年が死んだ、それは何よりもまず悲しむべきことであり、惜しいことではないのか。冷たいだ、人の心がわからないだと言われる僕ですら、よくもそれだけ冷淡になれるものだと思う。いや、端的に言ってその冷たさには日本人の村意識というか、嫌らしさが垣間見えるし、それは本当に不気味であり醜い。僕は彼らを軽蔑する。

 

「同情できない」と彼らは言うが、いったい彼らは16歳の時、どれだけ分別を持っていたというのか。少なくとも僕がかつて間近に見た16歳は、その9割9分までが自律心など持ち合わせていなかったし、悪さをしない、ルールを守るといったって、それはただぬるい環境に染まっていただけである。あるいは小心が冒険心に勝っただけである。言うなれば、ひと夏の経験よりも大学合格をとるような性根で腐敗せる青春を生きたに過ぎない。

 

僕は日本人が皆死に絶えてもいっこう同情しないが、この二人の少年には心から同情してやる。

そして、それと同時に、羨ましくさえ思うと言ったら、かえってまずいのだろうが、それが本心であると白状しておく。

 

もちろん、僕は昔からひと夏の経験派ではありましたがね。

 

僕の友達は最高の仲間です

僕は友達が少ないことで有名なわけで、これはもう筋金入りなわけですが(だから憎まれっ子世にはばかるなんてのは当然例外があるわけです)、そんな僕にも友達はいます。

 

高校以前の友達というのはほとんどおらんで、唯一といっていい気を許したやつは早々に世を去りました。

 

大学に入ってからは二人、これはどちらもどうしようもない連中ながら最高の友を得ましたが、一人は随分惜しいことにこれもなくしましたから、残っているのは一人です。

 

しかしながら、それ以外にも友達はおりまして、これはその全てが自衛隊の仲間です。

 

そのうちの一人、久留米で同分隊だった同期が自衛隊をやめて木樵になりました。この時点でそいつが最高の友であることは半分保障されているわけですが、我ながら、自分の友のエリートぶりに一人満足したわけです。

 

いや、まったく感心しましたから、今週末は彼に会いに北海道に行きます。

すると、数百キロ離れた駐屯地にいる元部下のおっさん(50歳くらい)が、車を飛ばして飯を食いに会いに来てくれるという。

沖縄に居た頃彼には僕の家を預けたりしていましたから、人並み以上の付き合いがあったわけですが、それにしても、朋遠方より来る、まったくこれは嬉しいことです。

 

締めくくりは大学の頃バイトしていた飲食店の厨房で世話になった先輩で、この人は日本の一般的な大卒など及びもつかない、東大出なんて歯も立たない精神的貴族なわけですが、この人に会うことになっております。

 

こう書いてくると、なんとまぁ人に恵まれ、充実しているかに見えますが、どっこい、もう東京の生活にはほとほとうんざりしておって、毎日毎日空を見上げて生きとるわけで、なんとかこれに生気を吹き込むために、北海道にまで出かけていくわけです。

 

 

それはそうと、ウクライナで事が起こった際、僕はこれをどうでもいいのだと書きました。さてさて、どうですか。そんなことを言おうものなら命がどうの、不謹慎だなんだとなじるであろうこの国の人は、今どうしておりますか。

 

大谷翔平東山紀之より以上にウクライナに目を向けている日本人がいるなら教えてほしいくらいです。

 

だからいったでしょう、日本人なんてウクライナのことなんか興味はありませんよ。考えているのは我が身の安全だけ。それも、なんの努力もくっついていない、平和の祈りとプーチンへの呪詛だけで買える安全だけです。

 

そういうやつらはどうなるか。皆まで言うなとはこのことですね。

老人に期待するものは

クライテリオンのメールマガジンに86歳の方から寄せられた文が載っておりました。

 

自衛戦争に備えよ、ということで、内容については大きな点において反対するところはありません。むしろ、米寿を控え、日本の安全保障環是正を願って筆を執るその熱意には頭が下がるくらい。

論考自体も奇を衒ったものではなく、誠実な印象を受けます。

 

ただ、これをお読み頂けばわかることですが、内容は常識的です。常識的というのは『そんなものは常識だ』という意味ではありません。いうなれば、86歳という特権的な地位、経験がそこには含まれていないということです。

 

老人の昔語りというのは嫌われますが、こと軍事に関して、日本である程度以上の主体性、当事者性を再現しながら語れるのは、この世代(それもだいぶん厳しいですが)より上にしかおりません。そして、残念ながら残された時間は有限です。

 

それを思えば、戦争を直接ないし身近に感じ、本物の軍人、元軍人を近くに記憶の中に持った世代には、是非ともの積極的にその思い出を語って欲しいと思います。

 

周りの連中はそんなことには耳を貸さなかったのかもしれませんが、私は出向いていってでも聞きたいくらいです。

是非そこのところに触れた論考が現れて欲しいと思います。

阪神優勝おめでとう

先週関西を回って、環状線のホームに居た全身タイガースのおっちゃん(阪神ファンはな、兄ちゃん、一周回ってレフトや、これ名言やで!)と話してから阪神タイガースファンのファンですが、なにはともあれ、十八年ぶりの優勝おめでとう。十八年前といえば、僕はまだ中学生、いや、根気強いファンはえらいものです。

 

それはそうと、なんだか道頓堀に飛び込む、飛び込ませないだなんだと揉めておりましたが、それくらいやらせてやればよいものを。

 

乱痴気騒ぎというが、ハロウィンの渋谷で騒ぐために騒いでいる連中よりよほどましじゃないか。一緒に飛び込みたいとは思わないが、別に迷惑なんか蒙ってないくせに迷惑面して非難している連中よりは、よっぽど好ましいやつらだと思いますね。

 

川が汚いとかなんとかいってごちゃごちゃゆうても、別にそんなことは大したことじゃないでしょう。

 

怪我するからよせとか感染リスクがあるからよせとか、てめえが気にするのは勝手ですが、そんな手合いのおかげで現代ほどつまらん時代はないですよ。

 

甲子園の連投はなし、危険な祭はなし、挙げ句川に飛び込むのもなしで、いったい何が楽しくて生きていることやら。

 

人生なんて壊れてなんぼ、人間なんて死んでなんぼでいいじゃないですか。あんまり思い上がっちゃ生活干上がっちまいますよ。

 

世間の狭さよ

7月に出した本の中で引いたものに、延安捕虜日記というものがありますが、これの著者は東京帝大を出て当時大陸で公職にあった鈴木伝三郎という人です。

この人は家族で鉄路を移動中に八路軍に襲われ、妻子をそこで亡くすことになりました。

 

私自身は当然、この鈴木氏とは縁もゆかりも無いわけですが、このほど父の知己である昭和10年生まれ(山西省)の医師から便りがあり、そこには、鈴木氏とは父親同士が居留民団の同僚、また母親たちは国防婦人会の付き合いがあったことから家族ぐるみの仲であり、鈴木一家殉難の際は皆悲嘆に暮れたのをよく覚えているとあります。

 

なんとも奇遇なもので、先方も鈴木氏の名前が本に見えて驚き、また不思議な人のつながりというものを喜んだそうですが、私の方もなかなか、そういうこともあるものかと驚きました。

 

こういうことはニューギニア方面に関してもあったのですけれども、やはり今に生きる日本人とて、あの時代、そして戦争に直接つながっているのだという思いを新たにします。