小幡敏の日記

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『忘れられた戦争の記憶』について

二冊目となる標題の本を出して二ヶ月以上経ちました。

特段反響もないため、著者としては全く暖簾に腕押しというか、手持ち無沙汰な状態を強いられているわけですが、これは一冊目でも慣れているので、黙って日常に耐えるしかないわけです。

 

しかしながら、無駄口を叩くのであれば、今回の本に僕は持ちうる全てを注ぎました。今後、どういうものを書いていくか分かりませんが、この本ほどに必然的に生み出されるものはないでしょう。この本は僕の分身というか、僕自身であるといってよいほどに、僕の全てを表現したものと思っています。

 

しかるに、これが所謂戦争本として受け取られるのはやや心外なところで、優れた戦記紹介本であるとして肯定的にみてくれる読者に対しても、また、有象無象の戦争回顧本として否定的にみる読者に対しても、等しく満足しないわけです。

 

これは戦争を対象にしてはいるけれども、戦争を通して日本人を見つめた本なのであって、戦争は言わば舞台装置に過ぎません。

戦争を知るということは大事なことではありますが、それが日本を、そして日本人を理解するものでなくて、いったい何の意味がありましょう。

僕はこの本を通じて、知識の習得を促しているのではありません。反省を求めてるのですらない。いや、反省はせねばなるまいが、大げさに言うのであれば、僕は日本人が再びまともな足取りで歩き出すためにこの本を書いたのであります。

 

そういう意味では、書名がよろしくないという批判はあたっているでしょう。

そればかりは色々事情もあることだからご容赦いただくしかありません。

 

いずれにせよ、あえていうのであれば、これは戦争の本ではないのです。日本人の本なのです。

 

であるからして、戦争に興味がない人であっても、日本人であるならばこれを読んでもらいたいのだし、良き日本人であるためには、こういう迂遠な道をたどらなければならないのだと信じます。

 

自薦するわけではないですが、この本の如き日本人論は、さほど多く刊行されてきたわけではありません。

 

なにはともあれ、この本は僕が僕自身のために書いた本です。僕は書き手であると同時に、むしろそれ以上に、読み手であったわけです。

だから僕はこの本が良い本であると言うことを、自惚れとは感じません。僕はこの本の中に正気に帰るための一条の光を見たわけで、僕にとっては無条件に良い本であったわけです。

そしてそれが故にこそ、この本は日本人のために書かれた本になっているのだと、そう期待しているのであります。

 

僕にとって、良き日本人たり得るということは、見果てぬ夢です。そういう日がくるのだと、頭で考えているわけではありません。しかし、その夢を追い続けるための営みがこの本を書かせました。

この本がそういうものとして読まれることを切に願います。