小幡敏の日記

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神国日本の幻影

これは日本に固有というものかわかりませんが、どうやら日本人は、こういう幻影にどこかで縋っているように思います。

 

平和を愛する諸国民の公正を信頼するような態度、いや、むしろもっと一般的に、こちらが誠を通せば相手も誠を示すのだと、そういう夢想が陰に陽に存在する。

 

たしかに、そんなことはないという傍証はいくらでもあります。韓国にはなにをいっても無駄、恩を仇で返される、というのはもはや広く抱かれる印象でしょう。

 

でも、それでもなお、やはり日本人は甘えております。

 

なぜなら、誠が無視されたとき、我々日本人はほぼ必ず、それをなじるような反応しか示さないからです。それはどこまでもこの甘えた対人関係を敷衍していることの証左でしょう。決してこれに冷徹な視線をもつことができない。

 

思えば、日本人の精神性というのは、南無阿弥陀仏と念仏を唱えるくらいが限度で、現代はそれが自由とか平和とか、そういう空っぽなキーワードに変わったというだけのことでしょう。

 

であれば、やはり日本人はそれで足れりとしている以上、どこまでも甘えた民族であり、それだけで救われると思っているのですから、これはどこまでも呑気で敬虔な信徒であると、そう言って差し支えないのではないでしょうか。